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「神の恵みを見て喜ぶ」

1997年1月12日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録11・19‐30

 本日お読みしたのは、アンティオキア教会の成立と成長に関する物語です。 この教会は後に異邦人伝道の拠点となり、ここから始まって福音は広く地中 海地方一帯に伝えられていくことになるのです。さて、この素晴らしい出来 事はいったいどのようにして起こったのでしょうか。

●最悪の出来事さえ

 本日の聖書箇所は、「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害の ために散らされた人々は…」(19節)という言葉をもって始まっています。 「ステファノの事件」とは、使徒言行録7章に記されているように、最初の 殉教者としてステファノが石で打たれて死んだ、という出来事です。彼は悪 事を働いたゆえに殺されたのではありません。神に従い、神の言葉を語った 故に殺されたのです。しかも、ステファノの事件は、ただ悲しむべき一つの 出来事では終わりませんでした。そこから大迫害が始まったのです。多くの ユダヤ人キリスト者たちは散らされて行ったのでした。この迫害は、生まれ て間もない教会にとっては大打撃であったに違いありません。「なぜこんな ことになるのだ!」と問わざるを得ないような出来事、それが「ステファノ の事件」であり、それをきっかけにして起こった迫害でありました。

 ルカは、アンティオキアの教会について書き始めるに当たり、まずステフ ァノの事件にまで遡り、そこから書き始めます。その事件なくして、アンテ ィオキアの教会は存在しなかったからです。どんなにそれが当座は不条理に 見え、悲しみに満ちた出来事であったとしても、そのことなくして後のアン ティオキア教会とそこから始まる異邦人伝道の歴史はなかったからです。

 神は最悪の出来事さえ用い給います。人がその時には理解出来ないような 事さえも、御自身の御計画のために用いられるのです。そして、事を先に進 め給うのです。私たちの経験していることは、常に結論ではありません。一 つのプロセスに過ぎないのです。その先があるのです。必ず先があるのです。

 もちろん、主が何をなそうとしておられたかを散らされた人々が知ってい たわけではありません。しかし、散らされた人々は「フェニキア、キプロス、 アンティオキアまで行った」と書かれています。彼らは運命の波間に翻弄さ れているような自らの現実を嘆いて時を過ごしませんでした。彼らは、その 一寸先も見えない嵐のような現実をも支配しておられる神に信頼して前に進 んでいったのです。神の手の内にあることを信じて進んでいったのです。そ して、事実、この嵐は神の手の内にあったのでした。神は彼らを導き給うた のです。

●ただ神の恵みによる出来事

 そして、彼らのある者たちはアンティオキアにたどり着きました。アンテ ィオキアはシリア州の州都です。ローマ、アレキサンドリアに続く第三の巨 大都市でした。様々な文化と宗教のるつぼであり、まだ同時に、コリントな どと同じように、不道徳な、退廃的な都市として悪名高きところでありまし た。いわば、すべてを泥沼に飲み込んでしまうような罪の世界の真ん中だっ たのです。しかし、素晴らしい神の御業は罪の満ち満ちた最悪の場所から始 まりました。人から見て最悪の場所は、必ずしも神の目から見て最悪とは限 りません。

 そこで、キプロス島やキレネ出身の者たちが「ギリシア語を話す人々」に も語りかけ始め、主イエスについて福音を告げ知らせたのでした。「ギリシ ャ語を話す人々」と訳されている言葉は、6章ではギリシャ語を話すユダヤ 人の意味で出てきましたが、ここで言われているのは明からにユダヤ人では ありません。異邦人です。さらに言うならば、10章に出てきたコルネリウ スのような、安息日の礼拝に参加し、聖書に親しんでいる、いわゆる「神を 敬う人々」ではありません。ここで語られているのは、聖書とは無縁の世界 に生きてきた異邦人なのです。それらの人々に福音が伝えられたのです。こ れは驚くべきことであります。

 19節を見ますと、それまでは「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らな かった」と書かれています。それは、一つには異邦人に対して根強い偏見が あったからです。ペトロや他の使徒たちにとって、この壁を乗り越えること がいかに困難であったかを私たちは既に見てきました。救いはあくまでもユ ダヤ人のためであると考えられていたのです。しかし、理由はそれだけでは ありません。そもそも、旧約聖書の背景を持たない者にどうしてメシアを伝 えることができるか、という問題があります。ユダヤ人たちにとっては馴染 み深いメシア待望も唯一なる神も、異邦人にとってはまったく無縁な諸概念 なのです。

 しかし、彼らはとにかく「主イエスについて福音を告げ知らせた」のです。 それは、要するに「イエスは主である」ということを伝えたということでし ょう。多くの神々が礼拝され、祭られている世界において、この方こそ礼拝 されるべき方なのだ、ということを単純に伝えていったのです。そして驚く べきことに、「主に立ち帰った者の数は多かった」と書かれているのです。 なぜでしょうか。彼らの伝え方が適切だったからでしょうか。彼らが優れて いたからでしょうか。ギリシャ的な考えに合うように工夫して伝えたからで しょうか。そうではありません。ルカはそのようには記してはおりません。 何と書かれているでしょう。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に 立ち帰った者の数は多かった」(21節)と書かれているのです。彼らに出 来ることは、結局伝えることだけだったのです。ひたすら主イエス・キリス トを指し示したのです。すると主御自身が助けてくださった。主自らが人々 を立ち帰らされたのであります。

 では、そのようにして神に用いられた人々はいったい誰なのでしょう。あ のアンティオキア教会の創立に関わった人々、異邦人伝道の端緒を開いた人 々はいったい誰なのでしょうか。実は、名前が出ていません。無名の人々で す。使徒言行録が書かれたのはこの出来事から40年ほど後でありますが、 その頃にはもう忘れ去られていた人々だ、ということです。「確かキプロス 島出身だったと思うけれど…」という程度しか覚えられていなかった。主は、 このような人を用いられるのです。ごく普通の人、無名の人々を御自身の栄 光のために用いられるのであります。

 このように、結局ルカはこの出来事を、ひたすら神の恵みによる出来事と して伝えております。人から出たものではないのです。ただ神のみから出た ことなのです。神は最悪の出来事を用いられ、最悪の場所を選ばれ、無名の 人々を用いられ、人間的には不可能と思われる状況において、神の御業とし てアンティオキア教会を設立し、異邦人伝道を開始させられたのです。

●神の恵みを見て喜ぶ

 さて、このうわさがエルサレムにある教会に伝えられました。そこで教会 はバルナバをアンティオキアへと派遣いたしました。彼は何をそこで見たの でしょう。異邦人たちがユダヤ人と共に、神を誉め讃え、礼拝している姿を 見たのです。共に教会を形作っている姿を見たのであります。恐らく、そこ にあったのはエルサレムの教会とはまったく違った教会の姿だったろうと思 います。多くの異邦人を有する教会でありますので、習慣も違えば、ユダヤ 教の伝統に対する考え方も違います。しかし、聖書には次のように書かれて います。

 「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、 そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」 (23節)。

 彼は喜んだのです。なぜでしょうか。そこに神の恵みを見たからです。彼 は神の恵みを見ることができる人だったからです。エルサレム教会とは全く 異質に見える集団の中に、「神の恵み」を見出すことが出来た人、そしてそ れを喜ぶことが出来た人、それがバルナバでありました。事実、先にも見た ように、アンティオキアに起こっている事は、ただ一方的な神の恵みの業で ありました。バルナバはその事実を適切に見抜いていたということでしょう。 聖書は、そのような人について「立派な人物で、聖霊と信仰に満ちていたか らである」(24節)と評価しているのです。

 エルサレムから送られて来たのがなぜバルナバであったのか、なぜその他 の使徒たちでなかったのか、その事情は分かりません。人間的な見方をすれ ば、単なる偶然とも言えるでしょう。しかし、結果的に見ると、この事態に 際して、バルナバ以上に適切な人物はありませんでした。そのような人が、 神によって備えられていたということであります。

 そして、神が備えておられた人物がもう一人おりました。サウロ(パウロ) です。彼はこの時点ではタルソスにいたのでした。「バルナバはサウロを捜 しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った」(25‐ 26節)と書かれています。なぜサウロがタルソスにいるのか、その事情を 思い起こしてください。彼がダマスコへ行く途上でキリストによって捕らえ られた次第は使徒言行録9章に記されております。彼はその後、ダマスコに おいて「この人こそ神の子である」と伝え始めるのです。そして、その後、 彼はエルサレムに向かったのでした。どうしてもユダヤ人の同胞にキリスト を伝えたいという願いがあったからでしょう。ところが、彼はエルサレムで 命を狙われるようになるのです。かつての仲間は、今は命を付け狙う人々と なりました。そこで彼はエルサレムを離れざるを得なくなります。彼にとっ て大きな挫折であったと言えるかも知れません。

 結局、彼は逃げたのです。そして、生まれ故郷であるタルソスに逃れ、そ こで数年間を過ごすのです。サウロがタルソスで何をしていたかは聖書に書 かれておりません。彼のことですから、そこでも宣教を止めてはいなかった と思われます。しかし、バルナバが「見つけ出して」と書いてあるのですか ら、やはり彼は表舞台には出ていなかったわけです。隠れた働きだったので す。ある意味では、彼は数年間、埋もれていたとも言えるのです。

 しかし、それで終わりではありませんでした。神は彼を忘れてはおられま せんでした。神はサウロを後のために備えておられたのです。アンティオキ アにおいて異邦人伝道が本格的に始まる時のために備えておられたのです。 サウロはバルナバと共にアンティオキアに出て来ました。そして、丸一年の 間、そこの教会において多くの人々を教えたのです。そのパウロの働きは、 異邦人が主流である生まれたばかりのアンティオキア教会にはどうしても必 要でありました。まさに神の奇しき配剤といえるでしょう。

 そして、27節に至りますと、今度はエルサレムから「預言をする人々」 が下って来た、ということが書かれております。「その中の一人のアガボと いう者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果 たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞ れの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そ して、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」(27 ‐30節)。

 アガボという人物が飢饉を予告しました。そして、それは彼の言葉どおり に実現いたします。この飢饉はエルサレムの教会にも深刻な危機をもたらし たに違いありません。なぜなら、エルサレムの使徒たちを初め、多くの主だ った人々は、もともとそこに経済的な基盤を持っていなかったと考えられる からです。教会は初めから貧しかったのです。しかも、彼らは迫害を経てい るわけです。ユダヤ人社会が、キリスト者との交わりを罪として断罪したの です。当然、それはエルサレムの教会にますます深刻な経済的な困難をもた らしただろうと思われます。そして今度は飢饉が起こったと言うのです。事 態は実に深刻です。しかし、この飢饉に際してアンティオキアに一つの行動 が生まれました。それはユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ろう、という 愛の行動です。

 エルサレム教会を初め、ユダヤ人たちの教会は大きな苦しみの時を経験い たしました。しかし、何とこの大飢饉が、結果的にはアンティオキアの若い 教会とエルサレムの教会を互いに深く結びつけることになったのです。苦し みは単に苦しみとして終わりませんでした。私たちはここにも神の見えざる 御手が教会を導いてくださっている事実を見ることができるのです。

 私たちは、こうしてアンティオキアの教会がどのように生まれ、どのよう にその基礎が築かれ、どのようにエルサレムのユダヤ人教会と関係づけられ てきたかを見てきました。10章の物語と違って、ここには神秘的な幻によ る語りかけも出てきませんし、天使も登場いたしません。むしろ、人間の活 動がごく普通に描かれているに過ぎません。しかし、既に見てきましたよう に、この場面においても、やはりその底を脈々と流れているのは神の恵みで あり、教会とこの世界の歴史を造り出しているのは、やはり神の恵みの行為 なのです。そして、この物語を通して、私たちもまた自分自身の生きている この世界や教会、また自分の人生をどのように見たらよいかを教えられるの です。神の御支配のもとにあり、神が恵みをもって行為しておられる神の歴 史として見るべきであり、そのお方に信頼して生きるべきなのであります。

 
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