「教会の祈り」
1997年1月19日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録12・1‐25
「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟 ヤコブを剣で殺した。(12・1)」
ここでヘロデ王と書かれていますのは、ヘロデ・アグリッパ一世のことであ ります。洗礼者ヨハネの首を切ったヘロデ・アンティパスは彼の叔父に当たり ます。イエス様が生まれた時の物語にもやはりヘロデという名前の王が登場し てきます。(マタイ2章)ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子 を皆殺しにしたという話が書かれています。彼は、ここに出てくるヘロデ・ア グリッパの祖父に当たります。血筋から言いますと、この祖父であるヘロデ大 王はユダヤ人ではありません。イドマヤ人(エドム人)です。一方、ヘロデ・ アグリッパの祖母は、ユダヤ人のハスモン家の王女です。つまり、彼はいわば 混血であるわけです。
混血のユダヤ人である王が、ユダヤ人たちを支配するために、その好意を得 ようと工夫するのは、ある意味で自然な成り行きでありました。それがキリス ト者迫害の一因となったものと思われます。それは、今日の聖書箇所にも書か れている通りです。「そして、(ヤコブを剣で殺したことが)ユダヤ人に喜ば れるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。」彼は、ペトロを捕らえて、 過越祭の後で民衆の前に引き出して裁判にかけ、公衆の面前で処刑しようと考 えていたのです。過越祭には多くのユダヤ人が都に集まっているのですから、 ユダヤ人たちに自分の姿勢をアピールするには絶好の機会でありました。
さて、これまで迫害の主体はユダヤの最高法院(サンヘドリン)であり、主 としてサドカイ派の人々だったのですが、ここにヘロデ王が関わってくること になります。迫害の対象も、これまでは主にヘレニスト、つまりギリシャ語を 話すユダヤ人たちだったのですが、ここでヘブル語を話すユダヤ人にも迫害の 手が伸びてまいります。ユダヤの最高法院よりもさらに大きな権力が、教会を つぶしにかかってくるのです。
その成り行きの中でヤコブが斬り殺されました。その罪状は記されていませ んが、恐らく名目上は政治犯として殺されたのでしょう。いずれにせよ、彼は 使徒たちの中で最初の殉教者となりました。そして、ペトロもまた捕らえられ、 その命が風前の灯火でありました。ヘレニストたちが散らされて行ったという ことは、初代教会におきましても大きな打撃でありましたが、使徒たちがヘロ デの手によって捕らえられていくという事態に直面して、教会はさらに大きな 危機に直面することになるのです。
ヘロデによってペトロは捕らえられ、牢に入れられました。「ヘロデは…四 人一組の兵士四組に引き渡して監視させた」と書かれています。強大な権力の もとにがっちりと捕らえられているペトロの姿があります。この事態にあって、 教会は無力です。ヘロデの力に対抗して教会は何も為すことができません。そ の様子が、ここに描かれています。しかし、教会には為し得る唯一のことがあ りました。「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」と書か れています。共に集まって祈ったのです。
ヘロデは、ペトロが自分の手の内にあると思っていたことでしょう。教会の 運命も自分の手の内にあると思っていたことでしょう。「過越祭の後で民衆の 前に引き出すつもりであった(4節)」と書かれています。また、6節にも、 「ヘロデがペトロを引きだそうとしていた日の前夜」と書かれています。これ がヘロデの意識であり、また多くのユダヤ人たちの意識であったろうと思いま す。しかし、教会は自らが異なる支配のもとにあることを知っていました。ヘ ロデではない、もっと大きな支配のもとにあることを知っていたのです。捕ら えられているペトロも、国家権力の支配のもとにあるのではなく、さらに大き な支配のもとにあることを知っていたのです。すなわち、神の支配のもとにあ り、主の手の内にある。だから、彼らは祈りました。ただ、その大きな御手に すべてを委ねて祈ったのであります。
かつて、ペトロとヨハネがサンヘドリンから脅迫されて帰ってきた時もそう でした。4章24節には、「これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かっ て声をあげて言った。『主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるす べてのものを造られた方です。…』」と書かれています。その後、多くの困難 があり、迫害がありました。教会は幾たびも大きな打撃を受けました。多くの 人々が散らされていきました。そのような中でステファノは死に、ヤコブは死 にました。「なぜ、こんなことになるのか?」と叫ばざるを得ないことも幾た びもあったでしょう。しかし、彼らは、教会がキリストの支配のもとにあるこ とを忘れなかったのです。彼らは、自分たちの力によって困難を乗り越えて今 日まで来たのだ、とは考えなかったのです。彼らは自分たちの力が教会を導い てきたのだとは決して考えなかったのです。誰が治められ、誰が導いておられ るかを知っていたのです。誰が「主」であるかを知っていたのです。だから、 ここにおいても祈った。熱心に祈ったのでした。
私たちは、ここに教会の持つべき基本的な姿勢を見なくてはなりません。信 仰者の基本的な姿勢を見なくてはなりません。教会が自分たちの手によって教 会を形作り、導いているのだと考えるならば、そこに祈りは存在し得ません。 困難に直面しても、そこに真実な祈りは生まれません。自分たちの献身的な行 為や努力が教会を作っているのだ、と考えるならば、そこには祈りは生まれま せん。自分の手が最終的には何かをするのだと思っているならば、そこに祈り は生まれません。祈りは、人が徹底的に自らの無力を自覚するところにあるの です。誰が主であるかを本当に認識するところに祈りがあるのです。私たちの 教会も、そのような意味で、祈る教会とならなくてはなりません。
私はどちらかというと、祈りを強調する牧師です。熱心に祈ることを勧めま す。教会においても共に集まって祈ることを勧めます。しかし、熱心な祈りが しばしば変質したものとなることには注意しなくてはなりません。例えば、熱 心な祈りが、それと引き替えに神から何かをいただける「義の行為」であるか のように考えられてはなりません。また、熱心に祈るという行為そのものが、 神に聞いていただくための代価や犠牲であるかのように考えられてはなりませ ん。私は以前、この同じ聖書箇所から、「ヤコブの時には教会が祈らなかった から彼は殺された。ペトロの時には教会が祈ったから彼は助かった」という説 教を聞いたことがあります。それは明らかに違うでしょう。少なくとも、祈っ ていた彼らは、そのようなことは考えていなかったはずです。
繰り返します。彼らは教会が無力であることを知っていた。だから熱心に祈 ったのです。彼らは支配しているのがヘロデではなくて神であることを知って いた。だから熱心に祈ったのです。私たちは同じように、熱心に祈る教会であ りたい。それは、自分たちが何者であり、神がどなたであるかを正しく認識す るということに他ならないのです。
さて、6節以下では場面が獄中に移され、ペトロの脱獄に関する記事が記さ れております。彼はどうしていたのでしょう。「ペトロは二本の鎖でつながれ、 二人の兵士の間で眠っていた」と書かれています。彼は、教会の仲間がその夜 どこにいるかを知っています。マルコの母マリアの家で夜を徹して祈っている ことを知っているのです。獄の壁の外では、教会が神の支配を仰ぎつつ、夜を 徹して祈ります。獄の壁の中では、同じ神の支配を仰ぎつつペトロは安らかに 眠ります。この世の権力を象徴するようなこの獄の壁は、もはや彼らを引き離 してはいません。ペトロと教会は同じ主のもとにあって一つに結び合わされて います。そこでは、もはやヘロデの支配は意味を持ちません。そして、その夜、 壁の中に主の天使が遣わされたというのが、ここに書かれている物語です。
「主の天使」という言葉は、直訳すると「主の使者」ということであります ので、必ずしも超自然的な天的な存在を指すとは限りません。実際には、もし かしたら権力者たちの間にペトロの同情者がいて助けてくれた、ということな のかも知れません。その辺りは良く分からないのですが、いずれにしても、こ の天使が何者であるかということは大した問題ではありません。ここに書かれ ているメッセージは明らかです。それは、神が壁の中にまで具体的に介入され、 働かれたということであります。
人間の目から見るならば、ペトロはヘロデの手の内にあり、ヘロデの壁の中 にいるわけです。しかし、本当の支配者なる方が、その中において具体的に働 かれたのです。ですから、ペトロは我に返ってこう言うのです。「今、初めて 本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民 衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
神は閉ざされているかのように見える現実の中に働かれます。具体的に介入 されるのです。何者も、何事も、私たちを神の手の届かないところに連れ去れ ることはできません。神の支配の及ばぬところに私たちを追いやることはでき ません。そして、私たちはここで単にペトロの命が助かったからそう言えるの だ、と思ってはならないのです。最終的には死でさえも、私たちを神の手の届 かないところに閉じこめることはできないのです。そのような意味では、この 事件はペトロにとっても、教会にとっても、大きな意義を持つ象徴的な出来事 となったに違いありません。信仰者はどこにいるのか。教会はどこにいるのか、 ということを改めて知らされた出来事となったであろうと思われます。
こうしてペトロは獄から出され、ヨハネの母マリアの家に行きました。「そ こには大勢の人が集まって祈っていた」と書かれています。先にも言いました ように、そこでは夜を徹して祈りがなされ、ペトロもそれを知っていたのでし ょう。しかし、そこでルカは、非常にユーモラスに、その時の出来事を記しま す。ペトロが門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出ました。そし て、彼女はペトロだと分かると、門も開けずに家に駆け込んでしまうのです。 しかも、彼女が人々に告げると、彼らは「あなたは気が変になっているのだ」 と言った、と書かれているのです。あるいは「それはペトロを守る天使だろう 」と言う者もいたと言うのです。
読んでいて思わず微笑んでしまう箇所だと思います。彼らは祈っていたのだ けれど、ペトロが助かって帰ってくると確信していたわけではないようです。 むしろ、それは信じられないことだったのです。いや、信じられない自分たち であるからこそ、ただ神を仰ぎ続けて夜を過ごすしかなかった。彼らの熱心な 祈りとはそのようなものだったのだろうと思うのです。ですから、私たちは、 祈りに際して、確信のない自分の不信仰を責める必要はありません。彼らもま た、そのような人々だったのです。
また、ここに書かれている一連の事は、いわゆる「確信と信念こそが事態を 変える」という最近流行の思想とは無縁です。彼らの内から出てきたものなど 何もなかったのです。彼らはただ神を仰ぐしかなかった。すべては神から出た ものであり、神の恵みであり、神の行為であった。ルカはそのところを強調 しているように思われます。
そして、最後にヘロデの死の報告をもって彼はこのひとまとまりの話を書き 終えます。集まった人々は王の演説を聞きながら「神の声だ。人間の声ではな い」と叫び続けた。すると、どういうわけか、王は急死してしまったと言うの です。聖書は「するとたちまち、主の天使がヘロデを打ち倒した」と説明して います。そのようにしか説明できないような非業の死だったのでしょう。この ヘロデの急死というのは歴史的な事実のようでありまして、細かい描写は違っ ているのですが、ヨセフスという歴史家も記しております。紀元44年のこと です。
ヘロデに始まり、ヘロデに終わるこの一連の物語でありますが、明らかにそ こに描かれているヘロデと教会の姿は対照的です。ヘロデは自己保身のために 教会を迫害します。ユダヤ人に気に入られるために、ヤコブを斬り殺し、ペト ロを捕らえます。そうして、王としての地位の安定を謀ります。彼は、自らの 王権の行方も、教会の運命も、ペトロの生と死も、すべて自分の手の内にある と思っています。しかし、彼は一つのことを知らない愚かな者でした。それは、 実は自分の身一つさえ自分の手の内にはないということです。彼は人間の栄光 の絶頂において死んでいきます。「神に栄光を帰さなかったからである」と聖 書は説明します。
教会はヘロデのように権力もありません。自己保身のためにすら何も為し得 ません。ペトロが捕らえられても何も出来ません。しかし、一つのことだけを 知っています。それは教会の運命も何もかも、一人のお方の手の内にあるのだ、 ということです。そして、その方に栄光を帰した。それが祈る教会の姿であり ました。そして、それこそが後の宣教の歴史を通じてもまた一貫した教会の姿 勢だったのであります。