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「受容と拒絶」 

1997年2月9日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録13・44‐14・7

 先週は13節以下をお読みしました。パウロとその一向はキプロス島から小 アジアに渡りました。そして、ピシディアのアンティオキアに着き、パウロが ユダヤ人の会堂において福音を宣べ伝えます。パウロが語った説教が13章1 6節以下に記されておりました。彼はまず、イスラエルの歴史を語り始めます。 神の救いの歴史を語るのです。そして、その御計画の中において、救い主イエ ス・キリストが与えられたことを語ったのでした。

 そして更に、パウロはキリストの十字架と復活を宣べ伝えます。キリストの 受難と死は預言者の言葉の実現であったことを語ります。特に、パウロの心の 内にあったのは、イザヤ書53章に書かれている苦難の僕の姿であったろうと 思われます。「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって 行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。(イザヤ53 ・6)」神は、その僕の執り成しを良しとされました。それゆえ、神はキリス トを復活させた。パウロは最終的にキリストの復活の事実と、その証人たちに ついて語ります。

 その結論は何でしょうか。38節において彼は会堂にいた人々にこう訴えて おります。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦し が告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったの に、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。(38‐39節)」こ こにパウロの伝えたかったメッセージの中心がありました。神の民として、神 に受けいられれ、神との交わりに生きるとするならば、それは神の赦しによる しかない。そして、その赦しの根拠は、ただ一人のお方の死と復活にしかない のだ、ということであります。だから、人はモーセの律法を守ることによって ではなく、このお方を「信じる者は皆、この方によって義とされる」のです。

 このパウロの説教はそこにいた多くのユダヤ人や異邦人に受け入れられたよ うです。人々はパウロに次の安息日にも同じ事を話してくれるようにと頼みま した。そして、多くのユダヤ人や神をあがめる改宗者たちがついてきたのです。 このように、当初は大きな反対もなかったのです。むしろ好意的に受け入れら れたと見てよいでしょう。

ユダヤ人たちによる拒絶

 本日お読みした箇所はその続きです。一週間の間に、事態は大きく変わりま した。なんと、パウロが乞われてもう一度同じ説教をした時には、ユダヤ人た ちの間に大きな拒絶反応が起こったというのです。

 最初の安息日にパウロの話しを聞いた人々、特に、パウロの説教を通してキ リストを信じた異邦人たちは、町中の関心を集めたようです。次の安息日には 「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た(44節)」ので す。パウロの話を聞いて信じた人々が、周りの人々に伝えたのでしょう。そし てまた、彼らが神の恵みの中を生き始めた姿が、町の人たちの関心を引いたも のと思われます。そこには神の国に生きる現実としての、「聖霊によって与え られる義と平和と喜び(ローマ14・17)」があったのでしょう。それゆえ に、次の安息日には町中の人々が集まって来たのです。これはもちろん誇張し た表現でしょうが、前の週に礼拝において御言葉を聞いた人々だけでなく、普 段は会堂の礼拝に参加していない異邦人たちが大挙して会堂に押し寄せてきた のは事実であろうと思います。

 そこで予期せぬ事態が起こったのです。「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見 てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した(45節) 」と書かれています。前の週には特に反対してはいなかったユダヤ人たち、む しろ好意的に受け止めてくれていたように見えたユダヤ人たちが、突如として 反対しはじめたというのです。それは「ねたみ」の故であったとルカは説明い たします。

 ユダヤ人たちの内に何が起こったのか。ある程度、想像することは出来るで しょう。夥しい異邦人たちを見て、まずパウロの説教が結論とすることの重大 性に気付いたということです。つまり、パウロが「信じる者は皆、この方によ って義とされる」と言ったその言葉の本質に気付いたのです。「信じる者は皆、 この方によって義とされる」ということは、彼らがこれまで無割礼の者、モー セの律法を守らぬ汚れた異邦人として軽蔑してきた人々も、神によって受け入 れられ、神の民に加えられるということを意味するのです。救いの根拠が神に よる一方的な罪の赦しにしかなく、しかもそれがキリストの贖いによるのでし かないとするなら、ユダヤ人と異邦人の区別はもはや意味をなさないのです。

 すると、当然、今まで律法を守ってきた努力や熱心は何だったのだ、という ことになるでしょう。今まで神に対して熱心に仕えてきた自分たちと、今まで 神に背を向けてきた人々がまったく同じ扱いになるということは許し難いこと だったわけです。

 しかも、福音を信じ、キリストを信じた異邦人たちの内には、罪が赦され、 義とされた平安と喜びがある。聖霊によって与えられる義と平和と喜びに与っ ているわけです。一方、律法を守り、自分の熱心と努力によって神の民であろ うとしていた人々の内には、平和も喜びもないわけです。もともとなかったの です。せいぜい、あったところで、律法を守らぬ者たちを貶めて得ることので きる優越感ぐらいしかなかったのです。

 だからねたんだのです。彼らの今までの真面目な努力と熱心が生み出したも のは、結局ねたみと敵対心でしかなかったというのです。彼らの今までの努力 と熱心は、そのようなものでしかなかったのです。神の一方的な恵みが明らか にされた時、その彼らの惨めな悲しむべき現実が明らかになったのです。しか し、往々にしてこのようなことは起こってくるものです。

 何が問題だったのでしょう。それは、彼らがあくまでも人間中心にしか考え られなかったということです。宗教的な生活についても、救いについても、彼 らは人間中心にしか考えられなかった。そこに問題があったのです。パウロは 救いについて、一から十まで神の御業として語ったのでした。その必然的な帰 結は「この方(イエス・キリスト)による罪の赦し」だったのです。しかし、 彼らには、「神が何をしてくださったか、そして神が何をしてくださるのか」 ということよりも、「人間が何をしているか、自分は何をしているか」という ことの方が重要だったのです。彼らの目は神の方にではなくて、人間の方にし か向いていなかった。その結果、一方的な恵みの宣言である福音を拒否してし まったのです。その結果、一方的な神の恵みである、義も平和も喜びも得られ ないでいたのです。

異邦人たちによる受容

 ですから、パウロは彼らに言います。「神の言葉は、まずあなたがたに語ら れるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに 値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわた したちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定 めた、あなたが、地の果てにまでも、救いをもたらすために。』(46‐47 節)」

 パウロの責任は福音を伝えるところまでであって、それ以上ではありません。 太陽が上ったことを知らせても、雨戸を開けずに真っ暗な部屋に人がいるとし たら、もはや彼はそれ以上のことは出来ません。雨戸をこじ開けることはでき ないのです。キリストによる罪の赦しと永遠の命についても、彼は信じさせ、 永遠の命に与らせることは出来ません。そのことをパウロはよく知っています。 だから、ユダヤ人が拒んだならば、異邦人の方に行くべきことも分かっている のです。

 しかし、それは彼がユダヤ人の同胞を見捨ててしまったということではあり ませんでした。そうではなくて、それから先は神の領域だということです。彼 は最後までユダヤ人たちに福音を伝え続けます。そして、拒む人々の救いを願 い続け、祈り続けるのです。(ローマ10・1)

 アンティオキアにおける宣教では、神の言葉はむしろ異邦人たちに受け入れ られました。彼が「異邦人の方に行く」と言った時、異邦人たちはこれを聞い て喜びました。そして多くの人々が信じ、キリスト者になったのでしょう。し かし、このことについても、ルカはパウロの努力や能力に帰することはいたし ません。「永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。(4 8節)」と書かれています。ルカはここで「ある者は永遠の命に定められ、あ る者は滅びに定められている」という教理を教えようとしているのではありま せん。そうではなくて、異邦人が多数信じたのは神の御意志とお働きだったの だ、ということを言っているのです。パウロが為したことは福音を伝えるとこ ろまでであって、それ以上ではないということです。

 最終的にパウロは町から追い出されます。ユダヤ人たちが、神をあがめる貴 婦人たちや町のおもだった人々を扇動したからです。ユダヤ人たちは市行政の 当局者たちを味方につけ、公的に彼らを追放したということでしょう。結局、 彼らは公的な権力に屈したわけです。ここだけを見るならば、彼らは敗北者で す。それは、福音を信じてキリスト者になった異邦人たち、またそこに生まれ た新しい教会にとっても大きな痛手であったに違いありません。しかし、それ で神の言葉そのものが敗北してしまうかと言うと、そうではないのです。誰が 語ったか、誰が伝えたか、それは本当は問題ではないのです。人間の側のこと は問題ではないのです。だから彼らが追放されたとしても、福音は生きている のです。「他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた(52)」。まさに、 御言葉の宣教によって、そこに聖霊による義と平和と喜びが残ったのです。そ して、「主の言葉はその地方全体に広まった」のでした。

受容と拒絶の狭間にあって

 彼らはアンティオキアを追放され、イコニオンに向かいました。そこにおい て起こった出来事が短く14章1節以下に記されています。基本的なパターン は13章に見たアンティオキアの出来事とほとんど同じです。ですから、これ はむしろ、パウロの初期の伝道における出来事の典型的な例として、ここに挙 げられていると見てよいでしょう。

 パウロはここにおいても、まずユダヤ人の会堂において御言葉を伝えます。 そこで多くのユダヤ人やギリシャ人が信じてキリスト者となりました。しかし、 すべての人が信じたのではありませんでした。そこには「信じようとしないユ ダヤ人たち」がいます。パウロが優れた説教者であったら、彼らも信じたので しょうか。彼の説教に説得力があったら、彼らはキリスト者になったのでしょ うか。そうではありません。4節には「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人 の側に、ある者は使徒の側についた」と書かれています。福音の前に人は二手 に分かれるのです。人があくまでも自らの手で自分を救おうとして福音を退け るのか、それとも自らの内に救いの要因がないことを認めてキリストにすべて をゆだねるのか。そこで分かれるのです。そして、それはもはやパウロの責任 でも、彼の問題でもないのです。

 ですから、彼らはただひたすら御言葉を語ることに専念します。そこに留ま って語り続けるのです。3節の「それでも」は、本来「それゆえに」と訳され るべき言葉です。「それゆえに、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして 勇敢に語った」のです。それだけが彼らに出来ることだからです。

 結局、最後はアンティオキアの場合と同じでした。ユダヤ人たちは権力者を 抱き込んで二人に対してリンチを計画します。石で打って殺してしまおうとし たのです。その計画がパウロとバルナバの耳に入りました。彼らは、そこで町 を逃げ出します。彼らはある時はとどまり、ある時は逃げ出します。彼らは何 かの原則に縛られて生きているのではありません。見て下さい。彼らは実に自 由です。受容と拒絶の狭間にあって自由なのです。なぜか。彼らは伝道の結果 が彼らの熱心や努力、彼らの能力や説得力によるのではないことを知っている からです。彼らの命がけの献身によるのでもないことを知っているからです。 救いについても神が中心であるように、伝道においても神が中心であることを 知っているからです。だから、伝えるべきことを伝え、人々の救いを神に祈り、 あとは神にゆだねるのです。

 結局、教会は伝道について考える時、御言葉が語られ、聞かれることに心を 用いたらよいのです。どのようなことをするにしても、そこに焦点が定まって いれば問題ありません。そして、福音を伝えることについては熱心であるべき ではありますが、その熱心さが信仰者を「造り出す」のでもないし、救いをも たらすのでもないことを弁える必要があります。福音が拒絶される時、それは もはや伝える側の責任ではありません。私たちは、確かに福音を伝えているな らば、人の不信や拒絶にあっても、それをもって自らの無能を恥じたり、自分 を責める必要はありません。ただ福音を語り続ければよいのです。そして、問 われるとするならば、本当に福音が福音として伝えられているかどうかという ことだけなのです。

 誰であれ人間の力によって(人間のお陰によって)自分が信じたと思ってい る人は、やはり誰かが信仰を持つのも、自分であれ誰であれ人間の力によるの だと考えるものです。自分が優れたキリスト者であり、証し人でありさえすれ ば、人がキリストを信じるようになると思ってしまう。あるいは雄弁で能力あ る伝道者がいさえすれば、人は救われると思ってしまう。そうではないのです。 御言葉が語られるところに神御自身が働かれ、神の奇跡として、聖霊による義 と平和と喜びが与えられるのです。私たちはただ神に信頼しつつ、自由さと喜 びをもって福音を伝えていく、そんなキリスト者であり教会でありたいと思う のであります。

 
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