「神の御手を見る」
1997年3月9日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒15・36‐16・10
使徒言行録にはその名の如く使徒たちの働きが記されているように見えます が、実は物語の中心は人間ではありません。神の霊が教会の歴史を導いておら れるのを私たちはこの物語の中に見るのであります。それは必ずしも、使徒言 行録に多く記されている奇跡や不思議な業の中に神を見るということではあり ません。むしろ、当たり前の出来事の中に、当たり前の人の営みの中に、神の 御手を見る目を持つべきことを教えられるのです。
今日、私たちが最初に目にしますのも、実に卑近な争いを描いた記事であり ます。見ようによっては、実につまらない争いです。しかし、著者のルカは正 直に描くことに少しもためらいを見せてはおりません。なぜでしょうか。この ような出来事の中にも、生きて働き給う神の御手を彼は確かに見ているからで あります。
パウロとバルナバの衝突
最初に36節から41節に描かれている出来事を見てみましょう。パウロが バルナバに二回目の宣教旅行を提案しております。バルナバもその提案に賛成 しました。そこでバルナバはマルコと呼ばれるヨハネを連れていきたいと言い ます。マルコは「バルナバのいとこ(コロサイ4・10)」です。しかし、パ ウロは反対しました。反対する理由がありました。既にに13章13節で見た ように、彼は第一回目の宣教旅行の途中でエルサレムに帰ってしまったからで す。どのような理由であるかは分かりません。危険と困難に満ちた旅に怖じ気 づいたのかも知れません。いかなる理由にせよ、途中で責任を放棄したことに は違いありません。そのような人物は連れていくべきではない、というのがパ ウロの主張でした。ここにおいて両者の意見が激しく衝突したのです。
両者とも正当な言い分があったことでしょう。パウロは旅の困難を知ってい ます。命の危険さえあることを知っています。マルコは再び脱落するかも知れ ません。しかし、今度は先の旅行とは意味合いが違います。第一の目的は諸教 会を励ますことにあるのです。迫害と無理解の中で闘っている兄弟たちに対し、 恵みの中に留まり、キリストから離れることがないようにと励ますために行く のです。その途中でマルコが再び宣教の働きから離れていくならば、諸教会の 人々をかえってつまずかせることになるかも知れません。旅の目的そのものを 考えたら、やはりマルコを連れていくべきではないという主張も当然のことと して理解できます。
しかし、一方、マルコの将来と大きな意味で教会の今後を考えるならば、や はり年若いマルコを同行させるべきであるとも言えます。マルコが弱さを持っ ているならば、その弱さ故に同行させるべきでないと言うパウロに対して、弱 い者である故に同行させるべきだと言っていたのがバルナバだったのだと思わ れます。
さて、聖書はどちらの意見が正しかったかという判断を下してはおりません。 また、衝突し対立することを肯定してはいないことは確かでありますが、しか しあえて両者を非難してもおりません。関心の中心は、人の行動にはないから です。そうではなくて、神の御手の内にあって、この出来事から何が生み出さ れたかをルカは記そうとするのです。私たちもまたそこに目を向けなくてはな りません。
結果的には二つの宣教旅行が同時になされることになりました。バルナバは マルコを連れてキプロス島へ向かいました。パウロはシラスを連れてシリア州 やキリキア州に向かいました。どちらも、第一回目の宣教旅行において教会が 生み出されたところです。こうして、「前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町 へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようでは ないか」というパウロの提案は何ら欠けることなく実現しました。
しかも、マルコはバルナバと共に、実に適切なところへと導かれたと言えま す。キプロス島は、バルナバの故郷です。そして、先に13章に見たように、 既にキリスト者となった地方総督が治めているのです。他のところに比べたら、 実に安全に宣教の働きを続けられるのです。そこでバルナバのもとにおいて彼 は見事に育てられたのでした。この出来事からかなり経って後、マルコはパウ ロにとってもなくてはならない存在となっていることを、聖書は私たちに告げ ています。例えばテモテへの手紙(二)4章11節において、パウロは獄中か ら次のように書き綴っています。「ルカだけがわたしのところにいます。マル コを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」
さらに言えば、ここでパウロがシラスと共に旅に出たことも、後に大きな意 味を持つことになります。そもそも、シラスという人物はエルサレム教会にお いて指導的な立場にいた人物なのです。(15・22)そのようなシラスとパ ウロがどこで出会ったかというと、エルサレム会議においてでありました。そ のエルサレム会議も、もとを辿れば、教会に起こった論争が原因で開かれたの です。そうでなければ、パウロとシラスが同労者となることは、まずなかった でしょう。パウロはこの一連の出来事を通して、実に相応しい同労者を得たの でした。彼の存在がパウロにとってどれほど大きかったかは、テサロニケに宛 てた二つの手紙においてシルワノというラテン語名でパウロと名を連ねている ことからも察することができます。また、パウロとエルサレム教会との繋がり という点においても、シラスが同労者とされたということは、まさに神の配剤 と言うことができるでしょう。
確かに、ここに記されているような対立や反目というものは、決して好まし い事態ではありませんが、教会において起こり得ることであります。人の主張 は多分の真理性を持ちつつも、多くの誤りを含むものです。弱さがあり欠けが あり愚かさがあるものです。聖なることに関する議論にも、人間的な弱さや、 罪が入り込んでまいります。
しかし、人はこのような事態が仮に起こったとしても、教会に絶望する必要 は少しもありません。なぜなら、主人公は人ではないからです。もちろん、争 いが無いに越したことはありません。しかし、人の弱さも失敗も、愚かさが引 き起こすいかなることも、キリストの恵みのもとにあるかぎり、そのままで終 わらないのです。神はそのような私たちの現実の中にあっても生きて働いてお られるからであります。近視眼的に、目先のことに嘆いたり、落胆したり、失 望したりしていてはならないのです。むしろ、神はどのような現実をも支配し、 導かれ、愚かな私たちを通してさえも、御自身の働きを進められることを信ず るべきなのです。そして、神に目を向け、信頼してキリストのもとにとどまり、 導きを求めたらよいのです。
テモテの同行
次に16章1節以下に目を移しましょう。パウロの一行はデルベとリストラ に行きます。パウロはそこで「信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父に持 つ、テモテという弟子(1節)」に再会し、彼を宣教の旅へと同行させます。 テモテは、パウロとバルナバの第一回目の宣教旅行においてキリストの福音を 聞き、キリスト者になったものと思われます。それから、数年を経ているわけ ですが、その間に大きく成長したのがこのテモテでありました。
パウロはマルコを伴うことに反対ではありましたが、若い伝道者を育成する ことに無関心であったわけではありません。ここでテモテを同行させたことか らも、そのことが分かります。そして、マルコがバルナバのもとで育てられる 一方において、テモテがパウロのもとで育てられていったことは、実に適切な ことでありました。後に、テモテはパウロの働きを大きく助け、エフェソの監 督となります。パウロがテモテにいかに大きな信頼を寄せていたかは、彼の手 紙を読めば分かります。例えば、フィリピの信徒への手紙には「テモテが確か な人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるよう に、彼はわたしと共に福音に仕えました(フィリピ2・22)」と書き送って おります。
さて、テモテの生い立ちには非常に興味深いものがあります。ここで、彼は パウロと同行する際に割礼を受けました。つまり、彼はそれまで割礼を受けて いなかったのです。ギリシャ人が父親だったからです。彼はユダヤ人から見る ならば、無割礼の者であり、異邦人に他ならなかったということです。彼はあ る程度の年齢まで、異邦人として生きてきたのです。しかし一方、彼は母親の もとではユダヤ人と同じように育てられてきたのでした。テモテへの手紙(二) には、彼が「幼い日から聖書に親しんできた(2テモテ3・15)」と記され ております。そうしますと、異邦人たちからはユダヤ人と見られ、ユダヤ人か らは異邦人と見なされてきたわけです。
しかも、ユダヤ人にとっては、テモテの両親の結婚は合法とは見なされない のです。そのような二人の子供であるということは、ある意味で、非常に厳し い立場に生きることを意味したと思われます。彼がギリシャ人を父とし、割礼 を受けていないということがどれほど重い事実であったかは、パウロがその地 方のユダヤ人を配慮して、彼に割礼を受けさせたことからも分かります。(も ちろん、言うまでもないことですが、パウロは救いに関わることとして、テモ テに割礼を受けさせたのではありません。ここにも、愛の配慮における彼の自 由さを見ることができます。)
しかし、まさにそのような人生を背負った若者こそ、神がマルコに代えてパ ウロに託した人物でありました。そして、神の御手の内にあって、彼の過去は もはやいかなる意味においてもマイナスではなくなっていることを知るのです。 なぜなら、彼はパウロと共に異邦人へと福音を伝えていくことになるからです。 異邦人とユダヤ人の関係がまだ決して解決済みではないこの時代の教会におい て働くことになるからです。まさにテモテのこれまでの人生も、パウロとの出 会いも、神の御計画の内に確かに位置づけられていたことを私たちは見るので あります。
聖霊に禁じられて
最後に、6節以下を見ておきましょう。
「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので」と 書かれております。「アジア州」とは小アジア西部ですので、恐らくパウロた ちはエフェソへの向かっていたものと思われます。パウロたちの宣教旅行の様 子を見るとすぐ分かることですが、彼らは彼らなりの宣教計画に従って行動よ うとしております。それはしばしば行政や通商の要所へと向かった合理的な計 画です。パウロは、超自然的な神の導きのみを求めて常に無計画であることを、 決して良しとはしなかったのです。無計画であるということと霊的であるとい うことはしばしば混同されるので注意しなくてはなりません。私たちは進むべ き道をよく検討し、計画的に行動すべきなのです。
しかし、それでも人の計画が神によって変更を余儀なくされることがありま す。「聖霊から禁じられた」という事が具体的に何を意味するのかは明確では ありません。もしかしたら、預言者を通して語られたのかも知れません。しか しいずれにせよ、神によってストップが掛けられたのです。そこで、彼らは予 定を変更してビティニア州に向かいます。そこにはユダヤ人居留地があったか らでしょう。しかし、そこでも「イエスの霊がそれを許さなかった」と書かれ ています。これも具体的にはどういうことなのか、よく分かりません。ともか く、次々と扉が閉ざされていくのです。
当然のことながら、彼らは悪を行おうとして神から留められたのではありま せん。むしろ、神に仕えるために進んでいったのです。しかし、次々と道が閉 ざされていくのです。なぜ止められたのか、理由が書かれておりません。パウ ロも分からなかったはずです。そのようなことは、私たちにも経験があるでし ょう。なぜ前に進ませてもらえないのか、まったく分からない。そうして、計 画の変更を余儀なくされるのです。そのような時、いったいどうしたらよいの でしょう。
パウロたちは「トロアスに下った」と書かれています。そして、「その夜、 パウロは幻を見た(9節)」というのです。それがどのように見えたのかは、 パウロの神秘経験でありますので、立ち入ることはできません。しかし、はっ きりしている一つのことがあります。それは、彼らが神の導きを求めていたと いうことであります。だから、彼らはこの幻によって確信を得ると、すぐに出 発したのです。
私たちは、神によって一つの扉が閉ざされた時、その前に打ち伏して嘆いて いてはならないのです。意気消沈していてはならないのです。神が留められた 時こそ、真剣に神の御心を尋ね求めるべきなのです。必ずしもパウロのように 幻を見るとは限りません。しかし、いかなる仕方にせよ、神は責任をもって導 いてくださいます。一つの扉を閉ざされたのが神ならば、別の扉を開き給うの も神なのです。神が駒を進め給うのです。
そして、それだけではありません。10節で物語の叙述の中で「わたしたち 」という表現が始めて出てきます。つまり、この著者が加わったということで す。ルカが加わったのです。道を閉ざされたゆえにたどり着いたトロアスにお いて、重要な出会いが用意されていたということです。
私たちはこの物語の中に、偉大なる神の御手を見ることができます。そして、 私たちもまた、同じこのお方の御計画の内にあることを忘れてはならないので す。目先のことに捕らわれることなく、このお方に信頼し、これからもこのお 方の導きを尋ね求めていきたいと思います。