「実を結ぶ神の言葉」
1997年4月6日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録17・1‐15
パウロとその一行の宣教旅行は続きます。彼らはフィリピを出発して、エグ ナチウスという街道を西に進みました。ここからは「わたしたち」という言葉 がしばらく出てきません。著者のルカはフィリピに残ったのでしょう。パウロ とシラス、そしてここには書いてありませんがテモテが共にテサロニケに向か いました。アンフィポリス、アポロニアという街道沿いの大きな町は通過した だけのように書いてあります。恐らくマケドニアの首都であり、ユダヤ人入植 者も多いテサロニケを真っ直ぐに目指して進んでいたのでしょう。
テサロニケにはユダヤ人の会堂がありました。その会堂はその地方のユダヤ 人たちの中心であったようです。パウロはここでも他の町々におけるのと同様、 会堂における安息日の礼拝で宣教の足がかりを得ました。次のように書かれて おります。「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入っ て行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦 しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシ アはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証した。それで、彼らの うちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシ ア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。(2‐ 3節)」
三回の安息日にわたってパウロは聖書に基づいてキリストを宣べ伝えました。 他で彼がしてきたことと同じです。特にここには、彼がメシアの苦難と復活に ついて語ったこと、そしてイエスこそメシアであると語ったことが記されてお ります。キリストの十字架と復活こそ宣教の中心でありました。今日に至るま で教会がなしてきたことも同じです。そして、その結果、「彼らのうちのある 者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、か なりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」と書かれています。 この書き方ですと、ユダヤ人たちよりもむしろ、異邦人の中に信じる者が多か ったようです。さらに「おもだった婦人たち」すなわち、有力な市民の妻たち が入信したのでした。しかし、今まで同様、ここでも一騒動起こることになり ます。5節にこう書いてあります。「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、 広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱さ せ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。(5節)」
ねたみと偏見によって
今日は15節までをお読みしました。10節以下にはベレアにおける出来事 が記されております。しかし、13節においてテサロニケのユダヤ人たちが再 び登場してまいります。つまり、10節以下は別のエピソードではなくて、ル カは互いに関連する一連の出来事として記しているのです。そして、明らかに ベレアのユダヤ人たちとテサロニケのユダヤ人たちが対比されております。そ うしますと、今日の箇所の重要なポイントは彼らの違いであるということが分 かります。その違いはいったい何なのでしょう。またその意味するところは何 なのでしょうか。
そこですぐに目を引きますのが、「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ」 という5節の言葉です。この言葉は、今まで使徒言行録に繰り返し出てきまし た。5章において、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々が使徒たちを捕らえ たのは、「ねたみに燃えて(5・17)」のことでした。ピシディアのアンテ ィオキアにおいても、ユダヤ人たちは集まってきた群衆を見て「ひどくねたみ (45節)」、口汚くののしって、パウロの話すことに反対しました。つまり、 彼らの反対は、パウロの宣教の内容を良く知り、十分に検討した上で起こった ことではないということです。それは「ねたみ」によるのだ、とルカは語るの です。
彼らの反対がいかに理に適わないものであるかが、今日の箇所においても強 調されております。彼らは広場にたむろしているならず者を抱き込んで暴動を 起こし、町を混乱させました。そして、パウロたちを滞在させていたヤソンと いう人物の家を襲います。しかしパウロたちは見つかりません。すると彼らは ヤソンと数人の信者を町の当局者のところに引き立てて行って、大声で訴えま す。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをか くまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて『イエスという別の王がいる 』と言っています。(6‐7節)」彼らは宣教の内容の真理性を問題にはして いません。パウロの語る福音を政治的な反逆思想にすり替えます。ここではパ ウロたちを訴えること自体が目的となっているのです。その目的のためにはい くらでも理由を付けるのです。人間は往々にしてこのようなことをするもので す。
確かに政治的危険人物であるという理由付けは効果的でした。ユダヤ人たち がイエス様を訴えた時にも同じ罪状を用いたことが思い起こされます。当局者 たちには彼らの訴えが証拠不十分であることが分かっております。往々にして 第三者の方が事実を的確に捉えているものです。イエス様の訴えの場合、ピラ トには、「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かって いた(マルコ15・10)」と書かれておりました。この場面においては、当 局者たちは最終的にはヤソンたちを釈放します。しかし、訴えが出たのにこれ を軽く扱うことは立場上できません。そこで保証金を彼らから徴収します。パ ウロが帰ってこないこと、このような騒ぎを二度と起こさないことを保証させ たということでしょう。しかし、テサロニケのユダヤ人たちの理不尽な熱狂的 行為はこれで終わりませんでした。次のベレアにおける物語に続きます。13 節を御覧ください。「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパ ウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけ て来て、群衆を扇動し騒がせた」と書かれているのです。
興味深いのは、彼らに対比されているベレアのユダヤ人たちについての描写 です。ルカはこう表現します。「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ 人よりも素直で…(11節)」。ここで「素直」と訳されている言葉は、偏見 のないことを意味する言葉です。そうすると、テサロニケの人々の問題は、彼 らが偏見に捕らわれていたということでもあるようです。
さて、このようなことはいくらでも起こり得ることであります。私たちが物 事の内容を冷静に検討し判断するのではなくて、ねたみや偏見によって動き回 っているということはいくらでもあるのです。福音への反応についても、テサ ロニケにおいて起こったようなことは今日でも起こります。救いに関わる事柄 というのは、その真理性が問われる最も厳粛な問題であるはずなのに、しばし ば内容そのものが問題にされずに拒否されることがいくらでもあるのです。
例えば、時々「聖書はきれいごとばかり並べ立てているからきらいだ」とい う人に出会います。しかし、そのようなことを言う人に限って聖書を読んだこ とがないのです。または「教会は偽善者の集まりだからきらいだ」という人が いる。では教会に少なくとも一年ぐらい通い続けたことがあるかというと、そ うでもないのです。あるいは、単純に「わたしはキリスト教がきらいだ」とい う人が、実は福音のメッセージを一度も聞いたことがない人である場合もあり ます。単にその理由は、知り合いに性格の悪いクリスチャンがいただけであっ たりいたします。往々にして内容の真理性よりも偏見がものを言うものです。
先日、イギリスからある説教者の録音テープが届きました。その中で彼が言 っていたことが印象に残りました。彼が大学に入学したころ、キリスト教が大 嫌いだったそうです。彼曰く、「キリスト教は弱い人間の松葉杖に過ぎないと 思っていた。」しかし、後に彼は気付くのです。彼は言います。「本当は、松 葉杖かどうかが問題なのではない。そこに真理があるかどうかを問題にしなく てはならなかったのである。真理であるならば弱い人間にとっても強い人間に とっても杖となり得るし。真理でないなら、時間の無駄に過ぎないのだから。」
そのように、ねたみや偏見、その他つまらない感情的なつまずき、あるいは 身の回りにある些細な不都合などが、人間の救いに関わる重大な判断と決断か ら人を遠ざけてしまう。それは大変悲しむべきことでありますが、起こり得る ことなのです。
理解、判断、受容によって
さてこのようにテサロニケのユダヤ人たちの問題が見えてきますと、ルカが 殊更に強調しているもう一つの事柄もまた見えてまいります。ここでルカはパ ウロの宣教について、彼が三回の安息日にわたって「聖書を引用して論じ合い 」、「説明し、論証した」と書いています。そして、ある者は「信じて…従っ た」と書いているのです。この「信じて」という言葉は通常、信仰について使 われる言葉ではありません。むしろ「納得して」と訳され得る言葉です。理解 して受け入れたということです。ベレアのユダヤ人たちについてはどうでしょ うか。「非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を 調べていた(11節)」と書かれております。
もちろん、福音の宣教は説明や論証以上のことです。ですから、パウロはテ サロニケの信徒への手紙においては次のように語っております。「わたしたち の福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊を、 強い確信とによったからです。(1テサロニケ1・5)」しかし、ルカはテサ ロニケにおける宣教を書き記すに当たって、あえて「説明、論証、納得」とい った知性あるいは悟性に関わる言葉を用いているのです。パウロはきちんと人 々が検討し判断できる内容を語っていたということです。聞いた人々は自らの 知性をもってパウロの話を判断し、受け入れたのだ、ということであります。 つまり、福音を受け入れて生きるということは、知性を犠牲にして始めて成り 立つのではないということです。これは、信仰と似て非なる迷信の類がちまた に溢れていた当時だから重要であったのではありません。そのような状況は今 日においても少しも変わらないのです。今日、多くの人々が、信仰を闇雲に何 かを信じ込むことであると思っております。しかし、聖書の語る信仰とはその ようなものではありません。むしろ信仰の世界は、本当の意味で冷静かつ的確 に人間の姿を見、罪と死からの救いが必要である現実をありのまま正直に見る ことに基づいているのです。
このことは使徒言行録を理解していく上でも大切なことです。私たちはこの 書において、パウロの宣教に数多くのしるしと奇跡が伴っていることを見るこ とができます。多くの人々がそのいやしの業のもとに集まってきたことでしょ う。それはイエス様の宣教の業におけるのと同じです。ですから、確かにしば しばパウロの福音が熱狂的な非理性的な群衆を造り出すかのように見られ、 「世界中を騒がせてきた連中」という汚名を帰せられることも当然起こり得る ことだったろうと思うのです。そのような状況はルカが使徒言行録を書いたこ ろも同じだったろうと思われます。むしろ、偏見によって付けられた汚名は増 えていたことでしょう。しかし、どのような時代であっても、教会は目に見え る様々な現象のみならず、むしろ言葉による宣教を大切にしてきたのです。使 徒言行録においても今まで見てきた通りです。言葉における宣教を教会の本質 的な事柄として大切にしてきたのです。そこには理解と判断が伴います。信仰 の世界には理解と判断が伴うのです。単に現象に惹きつけられてきただけの熱 狂的集団ではないのです。むしろ熱狂して反理性的行動を取ったのは反対者の 方だった。それをルカは語っているのです。これに対して、聞いた言葉が真理 であるかどうかを一生懸命に検討したベレアのユダヤ人が模範として書かれて いるのです。
それゆえ、私たちはここに、私たちのあるべき姿をも見ることができます。 私たちは何よりも御言葉の宣教を重んじる教会でなくてはなりません。真剣に 聖書に取り組む教会でありたいと思うのです。確かに今日においても奇跡は起 こり、癒しは起こるでしょう。奇跡には奇跡の意味があります。しかし、人に 信仰をもたらすのは目に見える奇跡的出来事ではなくて、神の言葉です。世は 何事においてもインスタントの時代です。しかし、教会はそうであってはなり ません。聖書が神の言葉として正しく解き明かされるための労苦と、神の言葉 が正しく聞かれ、判断され、理解されるための労苦を軽んじてはなりません。
そのように語られ、聞かれて始めて、御言葉の宣教は単なる説明や論証以上 のこととなるのです。説教を聞いて受け入れることも、単なる知性的理解以上 のこととなるのです。パウロが後にテサロニケの信徒に書き送った言葉を聞い てください。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。 なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の 言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の 言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。 (1テサロニケ2・13)」神の言葉が生きて働いていると言うのです。
信仰をもって間もないヤソンはすぐに酷い目に遭いました。しかし、彼の名 はローマの信徒への手紙16章21節に記されています。彼は信仰者として生 き続けました。テサロニケの信徒たちはパウロが去った後にも、多くの迫害や 困難を経験しなくてはならなかったでしょう。しかし、彼らについては、先に 挙げたテサロニケの信徒への手紙にこう記されております。「主の言葉があな たがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでな く、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付 け加えて言う必要はないほどです。(1テサロニケ1・8)」パウロは去りま した。しかし、神の言葉は彼らの内で確かに現に働いております。そして豊か な実を結んでおりました。それは今日においても同じです。神の言葉は私たち の内にも働き、同じ実りをもたらすことができるのです。