「恐れるな、語り続けよ」
1997年4月27日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録18・1‐17
恐れと不安
パウロはアテネを去ってコリントへ向かいます。この時の事情について、使 徒言行録は何も伝えてはいません。しかし、彼がどのような思いを抱きつつコ リントに向かったかを、彼自身の言葉をもって知ることができます。コリント の信徒への手紙(一)には次のように書かれています。「そちらに行ったとき、 わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。(1コリント 2・3)」考えてみれば、無理もありません。マケドニアのフィリピにおいて は、まったく謂れのない罪に問われてむち打たれ、投獄されました。テサロニ ケにおいては暴動が起こりました。まるで夜逃げをするかのように移って行っ たベレアにおいては、多くの素直なユダヤ人たちが福音を受け入れ始めたかと 思いきや、またもやテサロニケから来たユダヤ人たちによって騒動が持ち上が りました。窮余の策としてシラスとテモテをベレアに残して、彼はアテネに移 りました。アテネで彼はたった一人、人々に福音を語りました。しかし、ある 者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことに しよう」と言って去っていきました。そのような中で彼は次第に疲れを覚え始 めます。恐れに捕らわれ始めます。
彼は今コリントの地に立っています。大都市です。商業と工業の中心であっ たコリントはまた、犯罪と不道徳、原始的な迷信が混在する都市でありました。 いったい何がそこで起こるのか。先のまったく見えないまま、彼はそこにたっ た一人で立っています。使徒言行録においてエネルギッシュに伝道の旅を続け るパウロの姿から、私たちは彼があたかも疲れや恐れを知らない超人であるか のように考えてはなりません。彼がここで疲れ、あるいは恐れていたとしても、 それは当たり前のことなのです。
しかし、今日お読みしました物語は、そのような人間の弱さにもかかわらず、 なお神の御業は進んでいくのだ、ということを示しています。神御自身が、そ のような最悪の状態にあったパウロを励まし、支え、導き、御自身の御業を進 められるのです。
アキラとプリスキラ
神の励ましと慰めは、まず人との出会いを通して与えられました。2節をご 覧下さい。「ここで、ポントス出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキ ラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるように と命令したので、最近イタリアから来たのである。」アキラとプリスキラは恐 らくローマにおいて既に福音に触れていたものと思われます。そのような二人 とパウロがコリントにおいて出会います。そして彼らは後々まで働きを共にす ることになるのです。さらに言うならば、彼らはここで互いに信仰を同じくす る生涯の友を得ることになるのです。その絆の強さは、後に書かれましたロー マの信徒への手紙に見ることができます。パウロは次のように書き記していま す。「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカ (プリスキラ)とアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの 人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。(ロ ーマ16・3‐4)」
彼らの出会いの背後に神の摂理があったことを、ルカは彼らの出会いに至る 経緯を語ることによって明らかにしています。アキラはもともと黒海に面した ポントス州の人でした。その彼がローマに移り住むことになりました。しかし、 アキラとプリスキラはローマにいたがために追放に会うのです。紀元49年に 出されたクラウディウス帝の命令は、ユダヤ人の間に絶えず騒動があったため であると伝えられております。いわばアキラとプリスカはその巻き添えを食っ たとも言えるでしょう。しかし、この不当な仕打ちを通して、彼らはコリント に移り住むこととなり、やがてパウロに出会うことになるのです。考えて見れ ば、パウロ自身も、度々の追放を経験しながらコリントに着いたのでした。パ ウロにとっても、この出会いは彼の最悪の状態の中に与えられた神の恵みに他 なりませんでした。ペトロとコルネリウスの出会いに際しては超自然的な幻を 通しての導きが与えられたことを覚えておられますでしょうか。(使徒10章) ある時はそのような仕方で神は人を導かれます。しかし、神様はいつでもそう されるとは限りません。むしろここでは人間的に見るならば最悪のトラブルを 通して、神の導きが与えられているのです。神の恵みは人間の偏見や迫害など を通して彼らに及んだのであります。
シラスとテモテの到着
そしてさらにパウロのもとにシラスとテモテが到着します。パウロは二人の 到着後、御言葉を語ることに専念することができるようになりました。彼らが パウロに何をもたらしたのかを、私たちはパウロ自身の書いた手紙によって知 ることができます。まず第一に、テモテとシラスはテサロニケの教会について のうれしいニュースを持ってきたのでした。既に見てきましたように、テサロ ニケでは暴動が起こり、パウロはそこを逃れてベレアに移ったのです。それは 新しく生まれた教会が苦難を経験しなくてはならないということをも意味しま した。パウロはどれほど彼らのことを案じていたことでしょう。しかし、テサ ロニケの信徒への手紙(一)には次のように書かれています。「ところで、テ モテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛に ついて、うれしい知らせを伝えてくれました。…それで、兄弟たち、わたした ちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励ま されました。(1テサロニケ3・6‐7)」
さらに彼らがパウロのもとにもたらしたのは経済的な支えでありました。コ リントの信徒への手紙には「あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれ にも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必 要を満たしてくれたからです(2コリント11・9)」と書かれています。し かし、それは単に彼らがパウロに代わって働いたということではありません。 テモテたちはフィリピの教会からの援助金を携えてきたものと思われます。 (フィリピ4・15)これはパウロにとってどれほど大きな励ましとなったこ とでしょう。かつてたった一人でコリントに立ったパウロでありました。しか し、どんな時にも彼は決して孤軍奮闘しているのではないのだということを、 神はテモテとシラスの到着を通してパウロに現してくださったのです。
恐れるな、語り続けよ
さて、御言葉の宣教に専念し始めたパウロは、すぐにユダヤ人たちの抵抗に 直面することになりました。人々は反抗し、口汚くののしり始めたのです。そ こでパウロは服の塵を振り払って彼らに宣言します。「あなたたちの血は、あ なたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の 方へ行く。」パウロはこうして会堂を後にしました。どこに向かったのでしょ う。なんと会堂の隣の家でした。彼は会堂の隣で伝道を始めたのです。それは 神を求める者が最も目にしやすい場所であったということでもあるでしょう。 しかしそれはまた、ユダヤ人に対しても今なお救いの門は決して閉ざされては いないのだ、ということを示す行為でもあったのだと思われます。
そこで神様は実に味なことをなさいました。会堂の隣で伝道を始めた彼のも とに導かれてきたのは、よりによって会堂長のクリスポだったのです。彼は家 族一同と共に主を信じる者となりました。これはパウロにとってどれほど大き な慰めであったか知れません。それだけでなく、なお多くの異邦人が主のもと に導かれてまいりました。「コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて 信じ、洗礼を受けた」と書かれております。
しかしこの時、パウロはなお恐れの中にいたようです。いや、異邦人に対す る主の救いの御業が現れれば現れるほど、彼の恐れは大きくなっていったのか も知れません。彼は今までの辛い経験を思い起こしていたことでしょう。また 暴動が起こるかも知れない。また働き半ばにしてここを追放されるかも知れな い。いや、命さえ失うことになるかも知れない。神の御業が進むとき、それに 逆らう力がいかに大きく働くかを知っているパウロであるゆえに、その恐れも 大きかっただろうと思われます。しかし、そのように、彼がまさに恐れに捕ら えられていたその時に、主の言葉が彼に臨んだのでした。「恐れるな。語り続 けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だからあなたを襲って危害 を加える者はない。この町にはわたしの民が大勢いるからだ。(10節)」聖 書の中に繰り返し語られてきた「恐れるな」という言葉が、パウロにも語られ たのでした。「わたしが共にいる。」パウロが働きを続けるためには、その言 葉で十分でありました。
それにしても「この町にはわたしの民が大勢いる」とは、どういうことでし ょうか。いったいどこに神の民が大勢いると言うのでしょう。いくら異邦人が 多数洗礼を受けたと言っても、依然として退廃的なその大都会の中に見るのは、 異教の神々を拝む人々であり、迷信の虜になっている人々であり、また不品行 にふけっている人々なのです。そして、本来神の民であるはずのユダヤ人たち は、今や神の福音に反対し、ねたみに燃え、怒り狂っているのです。いったい どこに神の民が大勢いると言うのでしょう。
確かに人の目には神の民の姿は未だ見えてはおりません。しかし、神は人が 見るようには見ておられないのです。神は罪の力が支配しているように見える その町に、大勢の神の民を既に見ておられるのです。キリストによる救いに与 り、救いの御業を誉め讃えている人々の姿を既に見ておられる。そして、同じ ように信仰の目をもって現実を見るようにとパウロを招いておられるのです。
これはコリントだけの話ではありません。人間の想像を越えたところから、 いつでも信仰者は生み出されてきたのです。いつでも神は何もないところに神 の民を見ておられたのです。それはこの国においても同じでしょう。福音がま ったく受け入れられない私たちの周囲においてさえ、神は既に多くの神の民を 見ておられることを私たちは忘れてはなりません。「恐れるな。語り続けよ」 と主は言われました。「パウロは一年六ヶ月の間ここにとどまって、人々に神 の言葉を教えた」と書かれています。ただひたすら語り続けること、それが私 たちに託されていることなのです。
主は共にいてくださる
そして、神の約束は真実でした。まさに主が共にいてくださるということが 明らかにされた出来事が12節以下に記されております。ガリオンがアカイア 州の地方総督であった時です。ユダヤ人たちは一団となってパウロを襲い、法 廷に引き立てていき、総督に訴えました。「この男は、律法に違反するような しかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております。」ユダヤ人たちの訴 えは、要するに、パウロたちの宣べ伝えているのはもはやローマの公認宗教で あるユダヤ教ではない、ということでした。それゆえにパウロたちのしている ことはローマの法にも違反する、という趣旨だったのでしょう。ここでパウロ と諸教会は大変な危機に直面することになりました。と言うのも、もしここで ガリオンがパウロのしていることを違法であると判断するなら、それはアカイ ア州全体に効力を持つことになるからです。そしてさらに、地方総督の裁断は、 他の州においても先例として見られることになるのです。すると他の州の教会 にも国家権力による介入がなされることになりかねません。
しかし、ガリオンは彼らの訴えを却下しました。「ユダヤ人諸君、これが不 正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問 題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するが よい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そしてユダヤ人 たちを法廷から追い出したのです。ルカはパウロは一言も弁明する機会を得な かったことを伝えています。つまり、この危機を脱したのは決してパウロの力 によるのではないことを示しているのです。
さらに、この後には「群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴り つけた」と書かれております。ソステネはクリスポの後任であったようです。 「群衆」がいったい誰であるかは必ずしも明確ではありません。しかし、まっ たく無関係なギリシャ人たちというよりは、むしろ共に法廷に来ていたユダヤ 人たちであろうと思われます。恐らくはリーダーであったソステネが、この訴 えの失敗の責任を追求されて一緒に来たユダヤ人たちから殴られたのでしょう。
しかし、ここで大変興味深いことは、同じ名前がコリントの信徒に宛てたパ ウロの手紙の冒頭に出てくることです。「神の御心によって召されたキリスト ・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教 会へ…(1コリント1・1‐2)」ルカがここにわざわざ名前を記していると ころを見ると、これは同一の人物であると思われます。そうすると、ソステネ はこの後キリスト者になり、パウロの同労者となったということになります。 使徒言行録の読者には馴染みの深い人物だったのでしょう。彼はなぜキリスト 者になったのでしょうか。仲間のユダヤ人たちから殴られて初めて、彼らの動 機が純粋に神への愛ではなく、むしろ単にパウロに対するねたみと憎しみでし かないことに気付いたのかも知れません。そして、そこから真の救いを求め始 めたことは、十分あり得ることであります。いずれにせよ、私たちはこの危機 的場面全体を支配しているのは人間ではなくて、「共にいる」と約束された神 御自身であることを、このようなところにも見ることができるのです。
私たちはこうしてパウロのコリントにおける伝道の次第を見てまいりました。 神は、人の状態の良し悪しに関わらず、その救いの御業を進め給います。いや、 むしろ人が弱さの中におり、ただひたすら神に寄り頼む時にこそ、その人は神 の深い慰めと励ましを経験し、神自ら働き給う現実を見るのであります。