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「御心が行われるように」

1997年8月10日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒21・1‐16

 エルサレムへと向かうパウロたちの旅は続きます。数日の停泊を終えて船は ミレトスを出帆しようとしていました。彼らは人々に別れを告げ、そこを旅立 とうとしています。彼らがいかに別れを惜しんだか、私たちは20章の最後に おいて見てきました。1節の「別れを告げて」と訳されている言葉も、これは 「引き裂かれて」とも訳せるほどの強い言葉です。二度と生きて相見えること の無かったこの別離がいかに悲しみに満ちたものであったかを、ルカはここで 表現しているのでしょう。そして、さらにパウロが二度と辿ることの無かった 旅路をルカは万感の思いをこめて克明に記していきます。

 彼らは船旅を続けてシリア州のティルスの港に着きました。そこで船は荷物 を陸揚げすることになっていましたので、七日間ほど足止めになります。彼ら はティルスのキリスト者たちを探し出して滞在することにしました。ティルス では、恐らくステファノの殉教の後に起こった迫害で散らされていった人々に よって伝道が進められていたものと思われます。

エルサレム行きに対する反対

 4節以下に、その土地におけるキリスト者との交わりの様子が記されていま すが、ここで私たちは大変奇妙なことが書かれていることに気付きます。ルカ はこう記すのです。「私たちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。 彼らは??霊??に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返し て言った。(4節)」ここでルカがあえて「??霊??に動かされて」(直訳では 「??霊??によって」)と書いていることによって、これが単にパウロの身を案 じてというのではなく、信仰的な判断であったことが明らかにされております。 つまり、彼らはパウロがエルサレムに行かないことが神の御心であると信じて いたということであります。だからしきりにパウロのエルサレム行きに反対し たのでした。しかし、パウロ自身もまた神の霊の導きによってエルサレムに向 かっていたのです。20章22節を御覧ください。パウロはエフェソの長老た ちに次のように語っています。「そして今、わたしは??霊??に促されてエルサ レムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 」パウロは、エルサレムに行くことこそ、神の御心であると信じていたのです。 だからこそ、そこでどんな危険があろうとも、たとえ死ぬようなことがあって も、行かざるを得ないと思っていたのでした。さて、これはいったいどういう ことなのでしょうか。パウロは間違っていたのでしょうか。それとも、ティル スの弟子たちが間違っていたのでしょうか。

 このことを考えながら、その先を見ていきましょう。彼らは結局ティルスを 発って予定通り航海を続け、プトレマイスに着きました。そこで兄弟たちのと ころで一泊し、翌日カイサリアに赴いたのであります。そこでどのような人々 が登場するかに注意してください。彼らが泊まったのは、フィリポの家でした。 このフィリポについては「例の七人の一人である福音宣教者フィリポ」と言わ れております。彼については、既にいくつかのことを見てきました。フィリポ は、初期のエルサレム教会において日々の配給のことでトラブルが起こった時 に、この解決のために選ばれた七人のうちの一人です。(6・1‐6)彼らは 「??霊??と知恵に満ちた評判の良い人」から選ばれたと書かれております。そ して、同じく選ばれた七人の内の一人ステファノが殉教した後、迫害の中で散 らされていった人々の中にフィリポはおりました。彼はサマリアに下っていっ たのです。そこで彼は御言葉を宣べ伝え、その結果多くの人々がキリストのも とに導かれたのでした。(8・12)しかし、その働きの最中に彼はエルサレ ムからガザへ下る道へと導かれます。そこで彼がエチオピアの高官に出会い、 彼に福音を伝えた次第が8章に記されておりました。その出来事の後、フィリ ポが最後に言及されていたのは8章40節です。「フィリポはアゾトに姿を現 した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行 った。」そこで25年もの歳月を経て、フィリポがその娘たちと共に再び登場 してきますのがこの場面です。

 そこにまた、以前出てきた名前が再び登場いたします。アガボです。11章 の出てきました。「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキア に下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起 こると??霊??によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起 こった。」(ここで「??霊??によって」と書かれているのは、先に見た「??霊 ??に動かされ」と同じ言葉です。)このアガボが現れて、パウロの受難を予告 するのです。それが聞いていた人々にとってどれほどの重みのある言葉であっ たかは容易に想像できるでしょう。彼はパウロの帯を取り、自分の手足を縛っ てこう言いました。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ 人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』(11節) 」当然、ここでもティルスにおいてと同じように、パウロのエルサレム行きに 対する反対が起こりました。「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒にな って、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ(12節) 」と書かれております。

 ここで4節からの変化に気付かれましたでしょうか。4節ではあくまでも反 対していたのは「彼ら」だったのです。しかし、ここでは「わたしたち」に変 わっています。つまり、同行者であったルカもまたエルサレム行きに反対し始 めたということです。そして、それは十分に理解できることでもあります。

 そもそもパウロがエルサレム行きを決心したのは、エフェソにいた時であり ました。ルカはその時のことをこう記しています。「このようなことがあった 後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通り、エルサレムに行こうと決心 し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った(1 9・21)」ルカ自身がこのパウロの旅に再び加わったのは、この後パウロが コリントで約三ヶ月を過ごし、マケドニアに行ってから、恐らくフィリピにお いてであろうと思われます。(20章5節から再び「わたしたちという言葉が 出てきます。)パウロはこのコリント滞在中にローマの信徒への手紙を書きま したが、その手紙を読むかぎり、この時点でもパウロは明らかにローマに向か うつもりでいたことが分かります。そのような中でルカがパウロに同行するよ うになったのですから、彼自身としてもまた、この旅がエルサレムで終わりで はなくて、さらにローマにまで至るものと了解していたことでしょう。そこに、 異邦人への使徒としてのパウロが当然向かうべき道筋を見ていたのではないか と思われるのであります。

 ところが行く町々でパウロの身に起こるであろう危険が語られる。聖霊によ って与えられた預言として語られるわけです。パウロ自身もまた、「この命す ら決して惜しいとは思いません」などと言い始める。そして、決定的であった のは、かつての飢饉を予告したアガボの言葉でありました。もし、ローマに至 ることが神の御心であるならば、その前に命の危険を犯すのは、どうしても正 しいことのようには思われない。それは当然の判断だと思うのです。

 ルカは土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロ にしきりに頼みました。その中には、フィリポもいたでしょうし、四人の女預 言者である娘たちもいたでしょう。皆不信仰な人々であり、この世的な判断し かできない人たちだからパウロに反対したというのではないのです。信仰者パ ウロと不信仰な人々といった単純な構図ではないのです。パウロは彼らに言い ます。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことで すか。」この言葉の中に心がくじかれそうになっているパウロの心境がうかが えます。これが決して簡単になされ得る判断ではないことを、パウロ自身もよ く知っているのです。そこで先の問いに戻らざるを得ません。いったいパウロ は間違っていたのでしょうか。それとも、パウロを引き止める方が間違ってい たのでしょうか。

 結局、ここまで読んできますと、私たちは「分からない」と言わざるを得ない と思います。使徒言行録を書き記しているルカ自身も、すべてを振り返ってなお 判断を保留しているように思えるのです。そして、このような場面は私たちの現 実に、教会の現実に、いくらでも見られるだろうと思うのです。前に進むべきか、 留まるべきか。どちらも純粋に信仰的に、正しい判断であるように見えることが あるのです。どちらも神の御心に適っているように見える。どちらが信仰的であ り、どちらが不信仰であるのか、はっきりと言えないこともあるわけです。その ような時、私たちはいったいどうしたら良いのでしょうか。

御心が行われますように

 ティルスの場面に戻りましょう。彼らは??霊??に動かされて、エルサレムへ 行かないようにとパウロに繰り返して言いました。しかし、結局、パウロたち は旅立っていくのです。ここである意味での決断がなされました。パウロたち にすれば、それは「進んでいく」という決断であり、彼らにしては「パウロを 行かせる」という決断であったのです。しかし、これは、パウロが自分の主張 をごり押しして、彼らの言葉を無視したに過ぎないというのではありません。 それがどこで分かるかと言いますと、別れの場面においてです。彼らは皆、町 外れまで見送りに来ました。そして、共に浜辺にひざまずいて祈るのです。共 に、先行きを神にゆだねるのです。決断がなされなくてはなりませんでした。 そして、そこではもはやその決断が「正しかったか否か」が大切なことではな いのです。大切なことは共に神の御前にあるということなのです。どのような 判断がなされたにせよ、共に神の前にひざまずいているということなのです。

 さらにカイザリアの場面を見てみましょう。そこでルカはこう記しておりま す。「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは 『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」彼らは口をつぐ んだのです。それはやはり一つの決断となっております。しかし、ここで「主 の御心が行われますように」と言ったことは重要です。というのも、口をつぐ むという行為には二通りあるからです。神への信頼をもって初めて「口をつぐ む」ということが為される時と、そうでない時があるのです。口をつぐむとい う行為が、「好きにしなさい。私は知らないよ」ということ以上ではない場合 があります。手を引いてしまうだけの無責任な口のつぐみ方があるのです。

 ルカたちは「御心が行われますように」と言ったのです。本気で言ったので す。それは軽々しく口に出来ない言葉なのです。ルカはどうしたでしょうか。 15節に、「数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った」 と書かれています。ルカはパウロと共に行くのです。明らかに危険が待ち受け ているエルサレムに、パウロと共に上っていくのです。「カイサリアの弟子た ちも数人同行した」と書かれています。彼らはパウロのエルサレム行きに反対 した人たちです。しかし、彼らは共に行った。これが「御心が行われますよう に」と言って口をつぐむということなのであります。共に歩んでいくのです。 神にゆだねたのなら、担うべきことは共に担っていくのです。

 そして、先にも言いましたように、ルカはパウロが正しかったか否かについ て判断を下しておりません。これは今まで読んできたところにも現れていたこ とでした。パウロとバルナバが決裂した時(15・39)のことを描く時にも、 ルカはどちらが結局は正しかったかというコメントを残しませんでした。そう ではなくて、ただその結果二つの宣教旅行が生み出された事実だけを語るので す。ここでも同じです。パウロは進んでいきます。そして、これから読んでい くところですが、やがて彼はアガボの予告通り投獄されることになります。パ ウロは囚人となります。しかし、ローマには着くのです。彼が予期したような 形においてではなかったでしょう。パウロは囚人としてローマに至るのです。 ルカは最終的にローマにおけるパウロを描いて使徒言行録を終えるのです。そ の結果そのものが雄弁に物語っている。「御心が行われますように」と彼らは 言いました。―そして確かに御心は行われるのです。人間の判断の不確かさに かかわらず、神の御前に生きようとする人を通して御心は行われるのでありま す。

 確かに、事ごとに神の御心を尋ね求めることは大切です。正しい選択をなし 判断をなして生きていきたいと思います。そして、個人の人生においても、教 会の歴史においても、重大な決断をしなくてはならない時があります。その時 に祈り深くあることは大切です。しかし、信仰深い人々の中に、自分は間違っ た決断をするのではないかと恐れて、そこから一歩も前に進めない人々を見る 時があります。また、自分は誤った判断をしたのではないかという恐れと後悔 の中から一歩も出られない人々を見かけます。もしそうであるならば、やはり どこかおかしいと言わざるを得ません。一つ一つの選択や判断は重要ですが、 その一つの誤りによってもはや絶望となるような決定的なことではないはずな のです。考えて見れば教会の歴史など、誤った判断の連続ではないですか。し かし、なお神の御手の内に生かされている。大切なことは、過去について後悔 することでも、未来について思い煩うことでもありません。今、共に神の御前 にあるかどうかであり、いかなる決断をするにせよ、「御心が行われますよう に」と祈り得るかどうか、ということなのです。

 
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