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「終わり、そして始まり」

1997年11月23日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒28・11‐31

 礼拝において使徒言行録の講解が始まったのは1996年5月5日のことでし た。今日はこの書の最後の部分を共にお読みします。この一年半の間に私たちの 間で起こった、喜びや悲しみを伴う様々な出来事を思い起こします。私たちはそ の中でこの書を通して主の言葉を聞き続けてまいりました。そして、二千年前の 教会を導いておられた主は、確かに私たちにも伴われ、導いてくだいました。今 日も私たちはいつものように主の語りかけに耳を傾けたいと思うのであります。

パウロ、ローマに着く

 パウロたちがマルタという島に打ち上げられて三ヶ月の日々が過ぎました。再 び航海の出来る季節になったので、彼らはアレクサンドリアの船に乗って出航い たします。船はまずシシリー島のシラクサに寄港し、そこに三日間停泊しました。 そしてさらに海岸沿いに進んでレギオンに着き、そこから南風に吹かれて二日ほ どでナポリ湾のプテオリに入港したのでした。ここでパウロがキリスト者を見出 し、彼らのもとに七日間滞在したと記されております。そのようなことは、単に 百人隊長の好意によるとは考えられないので、恐らく百人隊長自身が公務のため プテオリに滞在することにでもなっていたのでしょう。このパウロの滞在期間中 に、パウロの到着がローマの教会に知らされたようです。ローマのキリスト者の ある者たちはアピオ街道を南に進んでトレス・タベルネにおいて、また他の人々 はアピイフォルムでパウロを出迎えたのでした。ここでルカは感慨に満ちた筆致 でこう書き記しています。「こうして、わたしたちはローマに着いた。」

 今まで礼拝において共に読んできました様々な出来事を思い起こします。ロー マへと向かうパウロの志が初めて明確に記されていたのは19章21節において でした。「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を 通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なく てはならない』と言った。」五年前、パウロが第三回の伝道旅行の途中、エフェ ソにいた時でした。その後、ギリシアに三ヶ月滞在していた間(20・3)に、 彼はローマのキリスト者たちに手紙を書き送り、その中に次のように記しており ます。「こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨 げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年 も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行く とき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、 あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもら いたいのです。(ローマ15・23‐24)」そして、ついに彼はローマに着い たのです。ローマのキリスト者に会うことが出来ました。しかし、彼が当初計画 していたようにではありませんでした。彼はエルサレムで暴動に遭い、暴行を加 えられ、裁判にかけられ、不当に二年もの間拘留され、囚人として護送され、そ の途中で嵐に遭い、命の危険に曝され、島に打ち上げられ、そこで冬を過ごし、 やっとのことでローマに辿りついたのです。随分と回り道をし、無駄に消え去っ たかのように見える時を過ごし、今なお囚人として過去からの不当な労苦を引き ずっているパウロであります。

 しかし、事がパウロの計画通り運んだか運ばなかったか、願いどおりの仕方で 実現したかどうか、それは彼にとっても、またこれを書き記したルカにとっても、 大したことではありませんでした。「こうして、わたしたちはローマに着いた。 」なぜ着いたのでしょうか。キリストが彼と共におられたからです。「勇気を出 せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしな ければならない(23・11)」と言われた主が、その御支配のもとに彼を導い てこられたからです。そのことだけが、パウロにとって真に意味のあることであ り、喜ぶべきことでありました。

 このパウロの姿から私たちは大切なことを再確認させられます。キリスト者の 喜びは人間の欲求や願望が実現したり、思い通りに事が運ぶところにあるのでは ありません。自己実現を人生最大の課題としている人は、主にある真の喜びを経 験することはできません。私たちのような者にキリストが伴われ、その御支配の もとに導きを与え、キリストの願うことが私たちを通して実現することによって こそ、私たちの為す全ての営みも、私たちの存在そのものも、永遠の意味を与え られるのであります。

ユダヤ人たちとの会合

 さて、ローマに着いたパウロは自分だけで住むことが許されたようです。もっ とも自由な外出は許されず、20節に触れられているように、鎖によって番兵と 繋がれていたようではありますが。

 ルカはこの使徒言行録の終結部において、ローマでパウロが為したことに触れ ています。しかし、あれほどパウロが望んでいたローマのキリスト者との交わり については特に何も書き記してはおりません。むしろ、ここでユダヤ人たちとの 二回に渡る会合の様子を描いているのです。このことを通して彼はいったい何を 伝えたかったのでしょうか。そのことを考えながら、さらにパウロとユダヤ人た ちとのやり取りを読んでいきましょう。

 17節以下を御覧ください。パウロはここでも、既に他の場所においてしてき たように、まずユダヤ人たちに語りかけようといたします。しかし、今パウロは 軟禁状態にあるので、かつて伝道旅行の際に行っていたように会堂に赴いて彼ら に語りかけることはできません。そこでユダヤ人の指導者たちを自分のもとに呼 び集めたのでした。彼らが直ぐに呼びかけに応じたところを見ると、肯定的にせ よ否定的にせよキリスト教に対する関心がすこぶる高かったことが窺われます。 後に彼ら自身が「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい(22節) 」と言っている通りです。

 パウロはまず、なぜ自分が囚人として鎖につながれているのかを彼らに説明し なくてはなりませんでした。そこで彼は皇帝に上訴するに至った経緯、そして、 この上訴が決して同胞を告発しようという意図のもとになされているのではない ことを説明いたします。自分がユダヤ人たちに対立してそこに立っているのでは ないことを明らかにするのです。その上で、注目に値すべき言葉を彼は語ります。 「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれて いるのです。」同様の内容はこれまでにパウロによって繰り返し語られてきまし た。(23・6、26・6、7)ここでもあえてルカがこの言葉を記しているの は、ここにパウロが特にユダヤ人たちに対して語り続けてきたメッセージの中心 があると見たからでしょう。パウロも彼に反対してきたユダヤ人たちも同じ希望 を抱いており、終末の希望、神の国の希望、復活の希望を抱いているのです。し かし、ユダヤ人たちが未だ救い主であるメシアを待ち続けている一方で、パウロ は「既にメシアは来られたのだ、ナザレのイエスという方がそのお方である」と 伝えてきたのであります。

 パウロが伝えてきたメッセージは、聖書が教え、ユダヤ人たちが信じてきた希 望を打ち壊したり、覆したりするものではありませんでした。メシアが苦難を受 けられて罪を贖ってくださった。そして神はメシアを復活させることにより、神 の国の栄光を現してくださった。神はこの方の名によって罪の赦しを得させる悔 い改めを与え、神の国へと招いてくださった。このことにより、むしろ、彼らが 希望してきた最終的な救いが既に決定的な仕方で始まっていることをパウロは伝 えてきたのです。そして、今もパウロが願っているのは、ユダヤ人の敵意から身 を守ることでも、彼らを告発することでもありませんでした。パウロが願ってい ることはただ一つ、本当の意味で彼らと希望を共有できるようになることだった のであります。

 ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来ました。そこでパ ウロは、朝から晩まで説明を続けます。神の国について証しをし、聖書を引用し ながら、イエスがメシアであることを語り続けたのでした。パウロは理に適わな いことを「ただ信ぜよ」と主張したのではなく、理に適ったことを言葉を尽くし て時間をかけて伝えたのだということが「説得しようとした」という言葉に現れ ております。しかし、人間の出来ることはそこまでです。結果はどうだったでし ょうか。「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはし なかった(24節)」と書かれています。他の場所で起こった事がローマでも起 こりました。皆がパウロの言葉を受け入れたわけではなく、彼らの間に分争が起 こったのです。その後のパウロの言葉から推測すると、福音の言葉を受け入れた のは圧倒的に少数であったのでしょう。

 そこでパウロは彼らにイザヤ書を引用して次のように語ります。「聖霊は、預 言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。『この民 のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るに は見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしま った。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、 立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』だから、このことを知っていただ きたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うの です。(25‐28節)」パウロが引用しているのはイザヤ書6章9節以下です。 イザヤが預言者として神から召された時に与えられた言葉です。預言者イザヤは 初めから人々から拒否されることを覚悟して預言活動を始めなくてはなりません でした。それは単にイザヤの言葉が理解不可能であるからということではありま せん。これは悔い改めて神に立ち帰ることを求める言葉が常に直面せざるを得な い現実なのです。私たちは皆ずるいものです。人間は自分をそのままにしておい て、方向を変えることもせずに、安易な恵み、手軽な救いを求めるものなのです。 イスラエルの民もそうでした。しかし、神の恵みによる招きは、同時に、人が悔 い改めて神に立ち帰ることを求めます。方向を変えることを求めるのです。そし て、人間の頑なな本性は、たとえそれを理解したとしても、なかなか受け入れな いものなのです。

 イザヤに起こったことがパウロにも起こりました。神の恵みに最も近いはずで あったユダヤ人たち、いにしえから約束が与えられ、その通りに救い主が与えら れた彼らは、福音を受け入れようとはしませんでした。これが今までパウロが常 に経験してきたことであり、ここでもパウロが現実に見ていることであったので す。彼は、聖霊がかつてイザヤを通して語られたその言葉の正しさを、悲しくも 認めざるを得ませんでした。そこで彼はこれまで他の場所においても語ってきた ことを彼らに語るのです。「だから、このことを知っていただきたい。この神の 救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」

継続する物語

 この使徒言行録はルカによる福音書に続く第二巻目として記されました。ルカ による福音書はご存知のように、主イエスの降誕物語から始まります。天使たち が羊飼いに現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれに なった。この方こそ主メシアである(ルカ2・11)」と告げた、あの物語を今 年もまたクリスマスには共にお読みすることになるでしょう。しかし、そうやっ て福音書を書き始めたルカは、神の国における救いの完成を描いて二巻目を締め くくったのではありませんでした。そうではなくて、メシアの誕生が最初に告げ 知らされた民が、その救いの言葉を拒否したことをルカは最後に書き記すのです。 キリスト誕生から約60年後のローマにおける実に暗い出来事を書き記し、その 後にただ次のように書き加えて、使徒言行録を終えてしまうのです。「パウロは、 自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自 由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け た。(30‐31節)」

 今日で使徒言行録の講解は終わるのですが、ここを見る限り使徒言行録はいわ ゆるハッピーエンドの物語ではありません。実に奇妙な終わり方であるとさえ言 うことができると思います。しかし、私たちはこの不自然な終わり方の中に、そ の意味するところをしっかりと読みとらなくてはなりません。ルカは明らかにこ の暗い終結部分を「結論」として書いているのではないのです。物語は一応ここ で終わります。しかし、これが結論ではありません。続きがあるのです。終わり は新たな始まりでもあります。その終わりと始まりを繰り返しながら教会の歴史 は今日までなお継続しているのです。主が働きを始められ、主が使徒たちを通し て働かれ、今日なお主は私たちを通して働きを継続しておられるのです。

 「この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです 」とパウロは言いました。しかし、すべての異邦人が聞き従ったわけではありま せん。パウロの喜びと悲しみはまた、今日の私たちの喜びと悲しみでもあります。 歴史の中に置かれている教会は様々な時を経験することでしょう。その時、私た ちはいつでも自分たちが途上にあることを忘れてはならないのです。今見ている ことが結論ではありません。私たちは目先のことに囚われて、一喜一憂していて はなりません。私たちは主にある限り、自分たちが神の国に向かっているかを知 っているのです。それで十分です。それで一つの終わりからまた新たな一歩を踏 み出すことができる。教会は本当の終わりに至るまで神の国を宣べ伝え続けたら よいのです。「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ、そうしたらよいのです。そ のようにして私たちもまた、終わりの日に完結する使徒言行録の続編に、新たな 一ページを加えていくのです。

 
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