「モーセとその母」                        出エジプト記2・1‐10  五月の第二日曜日は「母の日」です。この日、私たちはそれぞれの母親に対 する感謝の思いをもって礼拝に集います。そして、この日はまた、親として子 として、家族というもののあり方を考える良い機会でもあろうかと思います。 今年読まれましたのは、たいへん良く知られている物語です。モーセの生い立 ちに関するエピソードです。私たちは、この場面に登場する小さな一つの家族 を私たちの家族と重ね合わせながらこの物語を読み、私たちに対する神の御心 を尋ね求めたいと思うのであります。 ●子を手放した母  イスラエル12部族の一つであるレビ族に属する男と女がおりました。男の 名はアムラム、女の名はヨケベド。アムラムはヨケベドを妻に迎えます。最初 に生まれたのは女の子でした。彼らは娘をミリアムと名付けました。やがて彼 らに男の子が産まれます。その子はアロンと名付けられました。およそ三年後、 彼らは再び男の子をもうけます。その子が今日お読みしました2章2節に語ら れている子、すなわち後にモーセと名付けられる男の子です。  男女が結婚し子供が生まれる。それは喜ばしい事であるはずです。しかし、 この家族にとっても、同時代の人々にとっても、それは単純に喜ばしいことと はなりませんでした。その頃、エジプトの王が残酷きわまりない命令を全国民 にくだしたからです。1章22節にこう書かれております。「ファラオは全国 民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子 は皆、生かしておけ』」(1・22)。どうしてこのようなことが命じられた のか、事の次第は1章に記されております。要するに、イスラエルの民が増え、 強力になりすぎたので、なんとかその増加を食い止め、支配し続けようとした のでした。  彼らは、そのような命令のもとにあって、生まれてきた男の子をどうしたの でしょうか。聖書にはこう書かれています。「彼女は身ごもり、男の子を産ん だが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた」(2節)。 これだけを読みますと、その子を見ているとあまりにもかわいくて、どうして も殺すに忍びなかった、ということであるかのように読めなくもありません。 そして、そのような親の心情は誰にでも理解できるだろうと思うのです。  しかし、たいへん興味深いことに、新約聖書を書いた人々はそのように単純 には読みませんでした。例えばヘブライ人への手紙11章23節にはこう書か れています。「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって 隠されました。」つまり、ただ殺すに忍びないから隠した、という自然な親の 情による行為ではなく、これは信仰による行為だったのだ、と見ているのです。 ですから、「その子の美しさを見」というのも、ただ「かわいい子供だったか ら」ということではないのです。  それは新約聖書にこのエピソードが言及されているもう一カ所を読むと分か ります。使徒言行録においてステファノの説教が記されています。その中で彼 はこう言っているのです。「この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待 して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モ ーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育 てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として 育てたのです」(使徒7・20‐21)。ここでわざわざ「神の目に適った」、 直訳すると「神に対して」という言葉が使われています。モーセの美しさは単 なるかわいらしさではなくて、神との関わりで見られているのです。  出エジプト記に戻りますが、この1章にはエジプト王の命令に従わなかった 助産婦たちが出てきます。彼らはなぜ従わなかったのでしょうか。「助産婦は いずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も 生かしておいた」(1・17)と書かれています。2章もまた、その流れで理 解されるべきなのでしょう。そうすると、彼らもまた神を畏れていたので、モ ーセを隠したということになります。ヘブライ人への手紙の表現によるならば、 「信仰によって」ということになります。  乳飲み子は親にとってかわいいものでしょう。しかし、そのかわいさ、美し さをただ自分の目にとってかわいい、美しいと思うのと、神の目にとって美し い存在なのだ、と考えるのでは天と地ほどの開きがあります。かわいい者は手 放したくない、大切にしたい、守りたいと思うものです。しかし、同じように 大切にし、守ろうとするにしても、それをただ人間の情によって為すのか、そ れとも信仰によって神を畏れる者として為すのかは、決定的に異なることなの です。  スポルジョンという説教者はそのある小説教の中でこう書いています。「信 者は子どもへの愛に溺れてしばしば罪を犯す。主はそのような愚かな愛に心を 痛められる。」彼の言う溺愛とは、何よりもまず神の前にある存在としての子 どもを神の前にある親として愛するのではなく、自分の前にある自分に属する 存在としてしか子どもを愛さないことに他なりません。人はしばしばそのよう な愚かな愛に溺れます。  モーセの母はそのような母ではありませんでした。それゆえ、もはや隠しき れなくなった時、我が子を手放す時が来たことを悟ります。それはあきらめで はありません。信仰によって子どもを守ろうとした彼女は、また信仰によって 子どもを神にゆだねるのです。人間が為さねばならぬことがあります。人は全 力を注いで為さねばなりません。しかし、人に為し得ぬことがあります。人間 の情だけでしがみついてきた人は、そこでもあくまで手放そうとはしないもの です。それは何も「わが子」との関係に限ったことではありません。万事につ いて言えることです。 ●子を再び託された母  続きを読んでいきましょう。彼女はパピルスの籠を用意し、男の子を入れ、 ナイル河畔の葦の茂みの間に置き、その場を立ち去ります。姉のミリアムだけ が、遠くに立って様子をみておりました。するとそこへファラオの王女が水浴 びをしに川へ下りて来たのです。よりによって、そこに現れたのは命令を下し た王の娘でありました。信頼をもって赤子を神にゆだねた家族にとって、事態 は最悪の展開となりました。  しかし、神は最悪の展開を通してさえも事を進め給います。籠は王女に見出 されました。仕え女はその籠を取って王女に渡します。開けてみると、そこに 男の子がおり、泣いていました。王女の内に憐れみの情が起ります。彼女はふ びんに思って「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言いました。王女に この子を害する意志がないことを見て取ると、遠くに立って見ていた姉のミリ アムはこう申し出ます。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参 りましょうか。」王女はこの申し出を快く受け入れました。娘は急いでその子 の母親を連れてきます。王女は言いました。「この子を連れて行って、わたし に代って乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから。」  わが子を神にゆだねて手放した母親は、こうして再び子どもを受け取ること になりました。しかし、もはや自分の子としてではありません。王女の子、他 人の子として彼女はその子の育児を託されたのです。その赤ん坊はもはや決し てその母の子とはなりません。彼女は、どのような思いをもってモーセを育て たのでしょうか。  そのことを考えますとき、今日の聖書箇所に続く一つの記述が目にとまりま す。11節にはこのように書かれているのです。「モーセが成人したころのこ と、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そし て一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た」 (2・11)。注目すべきは、モーセがヘブライ人をあくまでも「同胞」と見 ていることです。先ほど触れました、使徒言行録におけるステファノの説教に おいては次のように語られております。「そして、モーセはエジプト人のあら ゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。四〇才になった とき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました」 (使徒7・22‐23)。  彼はエジプト人として教育を受けながら、なおイスラエルの民である自覚を 失いませんでした。それは肌の色が違っていたから、外見が違っていたから、 ということではないでしょう。それは単なる民族的なアイデンティティの自覚 ではありませんでした。ヘブライ人への手紙は次のように語ります。「信仰に よって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、 はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリ ストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」 (ヘブライ11・25‐26)。  まさにこの「信仰によって」という部分こそ、限られた時の間において、モ ーセの母がその子に与え得たものでありました。ただ子を育てることのみを託 された母がその務めをどのように受け止めたかが、ここに現れていると言える でしょう。彼女は王女からではなく、神から与えられた務めとして、この短い 期間の育児を受け止めたに違いありません。であるならば、それはもともと彼 女が持っていた意識と変わりはないのです。それが自分の子として育てるので あろうが、ファラオの王女の子として育てるのであろうが、本質的には彼女に とって何ら変わることはないのです。そもそも彼女に与えられていたのは、子 どもそのものではなく、子どもに関わる務めであったからです。ですから、か つて神の手にゆだねてその子を手放したように、再びこの母はその子を手放し ます。「その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうし て、王女の子となった。」その後、この母は物語の表舞台には登場いたしませ ん。それでよいのです。 ●支配したもう神の御手  さて、王女はこの子をモーセと名付けました。モーセ(あるいはモーシェ) という名前は、ヘブライ語としては「引き出す者」という意味になります。そ こで聖書は、王女が「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですか ら」と言って名付けたと説明しています。しかし、エジプトの王女がヘブライ 語で名前を付けることはまずあり得ません。これはあくまでも聖書的な観点か らの説明であります。実際に、モーセという名前が何を意味していたのかは定 かではありません。「子をもうける」という意味のエジプト語に由来するとも 言われます。いずれにせよ、この聖書の説明は注目に価します。というのも、 実際にやがてモーセ自身が「引き出す者」となるからです。神がエジプトから 民を引き出すために用いる器となる人物だからです。人の目は、王女がその子 を引き出して助けたのだ、としか見ないかも知れません。しかし、本当にこの 場面を支配し導いておられるのは、「引き出す者」を備えようとしておられる 神御自身なのであります。  そうしますと、この物語全体に、表には現れていない神の御手が見えてまい ります。エジプトの王女の子として教育を受け、そしてエジプトの宮廷と社会 事情に精通した者となること、しかもヘブライ人として信仰を受け継ぐこと― ―この両者はどう考えても同時に成り立つはずのないものでした。その不可能 を可能とならしめたのは、神の摂理の御手であったのです。人の目に映るのは、 人間の罪に端を発した不幸極まりない事態であり、またそれに続く最悪の展開 でしかなかったかも知れません。しかし、神は最悪の展開を通して事を進め給 うのです。  私たちは、その極まるところにキリストの十字架が立っていることを知って います。罪と死が勝利したと見えたまさにその時に、神が人間の罪と死に最終 的に勝利されたのでした。そこに、神の救いの計画が明らかに現されました。 この小さな家族に関する小さな物語も、その同じ神による救いの歴史の線上に あるのです。最悪の出来事のただ中で、神によって務めを与えられ、信仰によ って生きた一つの家族がありました。神はその信仰に基づく行為を救いのご計 画のもとに用いられたのです。  私たちも、私たちの家族もまた、キリストによって現された、救いの完成へ と向かう神の歴史の中に置かれています。神はそのご計画のもとにあって、私 たちにも務めを与えられます。家庭の形成も、育児も、子弟の教育も、その一 つです。与えられる務めは人それぞれに違います。置かれている状況も違いま す。しかし、いずれにせよ、どのような事情のもとにあるにせよ、私たちが与 えられている務めを信仰によって受け止める時、神は救いのご計画を進めるた めに用いてくださるのです。