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「少年イエス」

2000年12月31日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 ルカ2・41‐52

                毎年春、過越祭になりますと、ヨセフとマリアはユダヤ人の慣例に従ってエ ルサレムに上るのを常としておりました。イエスが12歳になった年も、彼ら はいつものように少年を伴って都に上りました。しかし、そこで一つの事件が 起こります。祭りを終え、ガリラヤから来た多くの人々と共に帰路に就いたマ リアとヨセフは、一日路を行ったところではたと気づいたのです。「イエスが いない!」慌てふためいて親類や知人の間を探し回ります。見つかりません。 彼らは道々尋ねながらエルサレムへと引き返しました。そして三日目に、つい に彼らは少年イエスを見つけ出したのです。なんと彼は神殿の境内で学者たち の真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているではありませんか。マリア は思わず詰問します。「なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お 父さんもわたしも心配して捜していたのです」。マリアがこう言うのも無理は ありません。本当に心配していたのです。しかし、少年はそんな母の心配をよ そにこう答えたのでした。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分 の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。

   これが主イエスの物語でなかったら、少々賢いかもしれないけれどまったく 可愛げのない小生意気な子供の話でしかありません。親の気も知らないでそん な偉そうな口を利く子供は、少々懲らしめてやらねばなりません。まあ、親の 権威を重んじる常識的なユダヤ人ならば、きっとそうなるだろうと思います。 しかし、これは主イエスの物語です。しかも、聖書の中でイエスの少年時代を 伝える唯一の物語です。さらに言うならば、この言葉は、ルカによる福音書に おいて最初に発せられる主の言葉なのです。であるならば、私たちは、なぜあ えて主がこのような行動を取り、このような事を語られたのかを尋ね求めねば なりませんでしょう。いったい聖書はこの主の言葉を通して、また主の少年時 代の物語全体を通して、私たちに何を伝えているのでしょうか。

  ●飼い葉桶から十字架へ

   そこで私たちはこの物語全体をもう少し細かく見ていきたいと思います。主 イエスが12歳の時であったと伝えられています。ユダヤ人の子供は13歳で 成人とみなされますから、その直前のことであります。成人しますと律法に定 められている義務が課せられるようになります。ですから、それまでに子供た ちは、暗記を中心とした律法の学びを完了せねばなりません。そして、成人と しての義務が突然の重荷となることがないように、その前に予行演習をいたし ます。主イエスが12歳の時にエルサレムに連れて行かれたのは、特にそのよ うな意味があったものと思われます。

   少年イエスが行方不明になって三日目に両親によって発見された時、彼は神 殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておりました。

  「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」(47節)と書か れております。しかし、この場面を思い浮かべますときに、私たちの国の12 歳の少年を考えてはなりません。既に申しましたように、この時点で律法につ いてはほぼ一通り学びを完了し、成人として歩みだそうとする直前なのです。 学者たちのと話をしたり、質問したりする少年がそこにいることは決して奇跡 ではありません。むしろ、描写において超自然的な要素は極力排除されている ように思われます。それは二世紀以降多数創作されたイエスの少年時代につい てのエピソードと比較すれば一目瞭然です。たとえば、伝説の中には、幼子イ エスの造った泥のすずめが空に飛び立った、というような話があります。強調 されるのは、その少年イエスが特別な超自然的な存在であるという点です。そ れらと比べるならば、聖書の中に唯一残されているイエスの少年時代の描写は むしろ驚くほど控えめだと言ってよいでしょう。しかも、この物語の終わりの 部分には次のように記されているのです。「それから、イエスはいっしょに下 って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(51節)。そこ には他のどこの家庭にもいる子供のように、「父と母を敬え」という律法に従 い、両親に仕えて生活しているごく普通の一人の少年の姿があるのです。

   このように考えてきますと、この箇所と他の二つの場面が結びついてまいり ます。一つは誕生の場面です。主イエスの誕生は、ルカによる福音書において、 次のように記されております。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、 マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(2・6‐7)。この場面 を描いた絵画には、しばしば周りで天使が歌っていたりする姿が描かれていた りするものです。この幼子イエス自身も光輝いていたりいたします。しかし、 聖書はそう伝えてはいません。あえて天使などを登場させないのです。これは むしろ不思議なことです。ルカによる福音書そのものには実にしばしば天使が 現れるではありませんか。御子の御降誕の前後には、実に不思議なことが起こ っているのです。演出過剰ではないかとさえ思えます。ところが一番天使に現 れて欲しい御子の誕生の現場に、彼らは現れません。そこには天使の讃美も響 いていません。汚い飼い葉桶があるだけです。奇跡らしいことは何も起こらず に、幼子イエスは惨めな姿でそこに寝かされているのです。

   もう一つは死の場面です。これもまた、古代の絵画を見るならば、そこには 天使がとびかっております。しかし、聖書にはそう書かれておりません。主が 裁かれている時も、あざけられ、殴られ、むち打たれている時も、そして十字 架の上で苦しんでいる時も、神の奇跡らしきことは何一つ起こらないのです。 ですので、議員たちはあざ笑ってこう言ったのです。「他人を救ったのだ。も し神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」ローマの兵士た ちも言いました。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」。特別な出 来事としては、短く「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂け た」(ルカ23・45)と記しているだけです。しかしこれも、マタイによる 福音書の記述と比べるならば驚くほど控えめです。

   このように、この福音書において、主イエスの少年時代の物語は、馬小屋で の誕生と十字架での死を結ぶ一本の線上に置かれているように見えます。そこ でこの物語を丁寧に読みますと、もう一つの特徴が見えてまいります。位置と しては誕生の物語に近いところにあるのですが、この12歳の時の都上りが、 むしろ約20年後の主イエスの最後の都上りと重なってくるのです。

   この出来事はエルサレムで起こりました。主が十字架につけられたのもエル サレムでありました。少年イエスが両親と共にエルサレムに行ったのは過越祭 の時でした。同じように、主イエスの最後の都上りとなったのも過越祭の時で ありました。また、少年イエスが見えなくなって、三日目に再び見いだされた という話は、十字架にかけられ葬られ、三日目に弟子たちの前に現れたことと を思い起こさせます。そして、そのような場面において、あの言葉が語られた のです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるの は当たり前だということを、知らなかったのですか」(49節)。

   特に注目に値する言葉は「当たり前だ」と訳されている言葉です。これはル カによる福音書に繰り返し現れる言葉です。どういうところに現れるかと言い ますと、例えば主イエスの受難予告です。9章22節をお開きください。「人 の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて 殺され、三日目に復活することになっている」(9・22)。ここで「必ず… することになっている」と訳されているのが同じ言葉です。しばしば、この言 葉は「神の必然」を現す言葉であると言われます。「神によって、その御計画 の内に定められているのだ」という意味です。「父の家」は直訳すれば「父の もの」です。単に神殿にいるというだけでなく、父なる神の事柄に関わってい るという意味にもなるでしょう。つまり、主イエスはすでに12歳のこの時、 神の必然の中に生きているということ、父なる神の定められた道を進んでいる のだ、ということを自覚して生きていたということなのです。

   そして、この福音書を読む者はやがて知ることになるのです。その道、神に よって定められた道は、苦難へと向かう道だったのだ、ということを。それは 既にあの飼い葉桶から始まっていたのでした。主イエスの少年時代は、確かに 飼い葉桶から十字架へと向かう途上にありました。その事実を、私たちはあの 少年イエスの言葉から聞き取らねばなりません。

  ●従順を学んだ月日

   そして、そのような自覚をもっていた少年が、後に公に人々の前に現れるま での約20年間をどのように過ごしたかを、ルカは次の単純な言葉をもって言 い表しております。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、 両親に仕えてお暮らしになった」(51節)。たったこれだけです。主イエス の公の活動は、およそ30歳の時に始まりました。そこから十字架にかけられ るまでは約三年間です。そうしますと、主の活動が知られている年月に比べる ならば圧倒的に長い期間が、この「両親に仕えてお暮らしになった」という一 言の背後に隠れてしまっていることになります。父なる神が、御子を通して救 いの御業をなそうとされた時、その大部分の期間は、備えの時として多くの人 々の目からは隠されていたのです。ただ主イエスのみが、その備えの時を知っ ていたのです。

   ヘブライ人への手紙には、その主イエスの歩みについて次のように語られて おります。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従 順を学ばれました」(ヘブライ5・8)。その多くの苦しみの道のりは、その 御生涯の最後の一週間だけではありません。既に飼い葉桶から始まっていたの です。主イエスにとっては、何よりもまず、父母のもとで一人の子供として生 きる具体的な生活の場こそ、従順を学ぶ場でありました。確かに、ヨセフもマ リアも敬虔なユダヤ人です。主はその敬虔な家族でお育ちになりました。しか し、そのようなヨセフもマリアもイエスに対する父なる神の御計画は理解でき なかったのです。そのようなヨセフやマリアは、主イエスにとっては決して完 全なる父や母ではありませんでした。しかし、主はまずその父母のもとに生き るその時を大切にされたのであります。従順を学ぶ時として大切にされたので す。「両親に仕えてお暮らしになった」と書かれているとおりです。

   私たちに「従ってきなさい」と言われた方は、そのような御方であることを 忘れてはなりません。私たちは主に従いたいと思います。神の御計画において 用いていただきたいと願います。「主よ、わたしを用いてください」という祈 りを捧げる人々を私はこれまで数多く目にしてきました。それは私たちの誰も が持って然るべき祈りであり願いです。しかし、私たちが「主よ、用いてくだ さい」と祈る時に、私たちはキリストの姿から目を離してはなりません。わず か三年ばかりの公生涯のために、三十年あまりの準備の期間があったのです。 その生涯の大半は従順を学ぶ時でありました。神の子でさえそうです。私たち ならなおさらでしょう。にもかかわらず、私たちの多くは逆に三年の準備で三 十年の公の働きをなそうといたします。「主よ、用いてください」という祈り が、結局は、「人々にも明らかに認められ評価されるような大きな働きをさせ てください」という意味でしかないことがいくらでもあるのです。

   私たちは従順を学ばねばなりません。備えの時を重んじなくてはなりません。

  最終的に私たちの一生において神が私たちを用いられる仕方は、あるいは稲妻 の一瞬の閃きのようであるかもしれません。しかし、私たちの人生の大部分が 従順を学ぶ時であり、その神に従う一瞬のための備えであるならば、例えそれ が人々の目に映ることなく、人々の記憶に残ることなく、いかなる記録にも残 ることなくとも、その費やされた時は永遠の価値を持つと言えるでしょう。主 イエスの生涯の大部分の時がそのようであったようにです。それゆえ、私たち は主が両親に仕える時を大切になさったように、今のこの時、今生かされてい る場所を大切にしなくてはならないのです。

 
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