説教 |  印刷 |  説教の英訳 |  対訳 |  連絡

「今日イコール明日か」

2001年1月14日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生, 台湾基督長老教会宣教師 陳天賜説教
聖書 ヤコブ4:13‐17

 もう一つの聖書箇所を開いてお読み致しましょう。旧約のイザヤ書56:9 ‐12です。

 今お読みした箇所をヤコブ書の個所と対照して、何か学ぶ事が出来るではな いかと思います。特にイザヤ書56:12をもう一度ご覧下さい。お読み致し ます。「さあ、酒を手にいれよう強い酒を浴びるように飲もう。明日も今日と 同じ事。いや、もっと素晴らしいに違いない」と書かれています。其の人達は、 自分の利益ばかりに夢中で、信仰の本分を捨てました。お酒に浸って、明日飲 む酒がなくなる心配を忘れました。平気で「いや、もっと素晴らしいに違いな い」と言います。自信満々です。

●空想と夢

 愚かな宴楽している人たちは、大胆に明日のお酒は心配なしとの宣言をし、 未来の快楽や満足を求めています。ヤコブ4:13にも「今日か明日、これこ れの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしょう」とあるように、 彼らは肉体や物質の為に計画をし、夢を見ます。全てこれは人間的自己中心の 考え方です。人間は、今日または明日を自分の手に握っていると思っています。

神様の御旨や許しに従わず、勝手に自分の考えで計画するのです。

 イエスのたとえ話の中に愚かな金持ちの話があります(ルカ12:15‐2 1)。穀物が豊作なので、それを納めるために倉庫を拡大しょうと計画し、ま た自分の魂も長年衰えない様に、沢山の財産を貯めようと思っています。彼は 人間の命は短いということを知らないで、永遠のことを求めなかったのです。 神様がこの金持ちの人に「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お 前が用意した物は、一体誰の物になるのか」と言われました。人間の富や財産、 また命は、僅か一枚の薄い雲のようなものに過ぎないのです。もし神様と繋が らないず、神様の御旨に叶わなかったら、全て私たちが待ち望むことは虚しい のです。

 お日様がいつも東から上ってくるから、明日も同じように出て来るというこ とについては自信を持っているでしょう。疑いなく大自然には存続性が有りま す。しかし、私たちが認めなければならない事実は、明日が今日とは異なって いるということです。今日流れている水は、明日流れる水とは完全に違うので す。

 ヤコブはこう言いました「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日の事 は分からないのです。貴方がたは、僅かのあいだ現れて、やがて消えて行く霧 に過ぎません」(14節)。箴言27:1にも、「明日のことを誇るな。一日 のうちに何が生まれるか知らないのだから。」と書かれています。

 ヤコブはここで、私たちの人生の明日は不確実で、自分の将来を自分が把握 する事は出来ないので絶望だと皆に伝えているのではありません。ここで強調 したいことは、私たちが神様をより頼む理由を認めなければならないというこ とです。パウロがコリント教会へ手紙を書いたときも、このような言葉を使い ます。「しかし、主の御心であれば、すぐにでも貴方がたの所に行こう」(1 コリント4:19)。「わたしは、いま、旅のついでに貴方がたに会うような ことはしたくない。主が許してくだされば、暫く貴方がたのところに滞在した いと思います」(同16:7)。ヤコブ4:15にも、「『むしろ、あなたが たは、主の御心であれば、生き長らえて、あのことやこの事をしょう』と言う べきです」と書かれています。

 人間の生活はいと高き神様の御旨と関係がある、とヤコブは言っているので す。だから、人間の自己中心な行いや虚しい行いをやり直し、神様の御旨を考 えるべきだと勧めているのです。すべて私たちが計画したことの上に必ず「御 心であれば」と言うことが必要なのです。

●希望と決心

 多くの人々は、今日は健康であるが明日は病気になり、今日は富んでいるが 明日は貧乏になり、今日は友達であるが明日は敵になるという経験を多くいた します。人生はしばしば変化するのです。私たちの明日の希望は何でしょうか、 保証はあるでしょうか。

 聖書には、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わること のない方です」(ヘブライ13:8)と書かれています。今日私たちが信じて いる神様は明日になっても依然として神様です、今日のキリストが明日になっ ても依然として救い主です。このことのゆえに、キリストは私たちキリスト者 の希望の原点なのです。だから、ヤコブは私たちが生活の中で常に神様に寄り 頼まなければならない、と勧めているのです。

 クリスチャンは、全ての人生の計画を神様の御手に委ねる事が、大切です。 神様を何よりも先にする考えは、知恵ある謙りの信仰生活です。そうしなけれ ば、16節のような結果になります。私たちが未来を把握できるという傲慢、 愚かな罪を犯してしまうのです。

 今日、自分の愚かさ弱さを知る私たちに、神様が新たな未来を与えて下さい ました。把握のできないこの新しい年に、どうやって向かえば良いのでしょう か。何かを確認し、決断すべきではないかと思います。16節にヤコブは、 「人がなすべき善を知りながら、それを行なわないのは、その人にとって罪で す」と書いています。罪は犯行だけではありません。善を知って行なわないこ とも罪です。全ての罪は、神様に委ねる信仰生活をしないこと、また神様の御 旨には相応しいことをしないことです。ローマの信徒への手紙13:12‐1 4にはこう書かれています。「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを 脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩 もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イ エス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用 いてはなりません」。キリスト者にとって、今日犯した罪を明日続けることは いけません。毎日神様の御前に、犯した罪を悔い改めて、昨日と違う新しい今 日の生活となるよう決断することは大事です。

 ある人がタバコやお酒止めようと決断をし、自らを励ます言葉として「今日 は飲んでいいですが、明日は飲んではいけない」と書きました。しかし、結果 は一緒でした。明日になっても「今日は飲んでいいです」となりますから。エ フェソの信徒への手紙5:8には、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、 今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」と書かれて います。また、2コリント5:17には、「だから、キリストと結ばれる人は 誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生 じた」と書かれています。以上の個所において「今」が指している時は何時の 事でしょうか。キリストによって新しく創造された者とは誰でしょうか。

 2000年が旧年になってしまいました。去年の全ては流れました。唯一価 値の有るもの、把握すべきことは新しい今日ではないでしょうか。「一年の計 は元旦にあり。」どうか、全く昨日と違った今日に、神様の御旨に相応しい新 しい信仰生活を神様の御前に、改めて誓いましょう。まずキリストの清めを求 めること(ダニエル1:8)。次はキリストを喜ばす生活を建て直すこと(コ リント5:9)。そして、積極的に福音を伝えること(ローマ15:20)で す。

 今日が明日ではないからには、私たちのすべて間違った考えや行いを早めに 悟ってやり直さないと、新たな明日を迎えてもそれは昨日に犯した罪と一緒に なります。「人がなすべき善を知りながら、それを行なわないのは、その人に とって罪です。」共に神様から与えられたこの新しい年に託された使命を行な いましょう。

 
説教 |  印刷 |  説教の英訳 |  対訳 |  連絡