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「海の中にできた道」

2002年5月12日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 出エジプト記14・5‐14

 今日、私たちは特に13節、14節の言葉を心に留めたいと思います。モ ーセはイスラエルの民に言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今 日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、 エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主が あなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。

●恐れてはならない

 初めに、私たちは、この言葉が語られた状況に目を向けておきましょう。 イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトから脱出しました。「イスラ エルの人々は、意気揚々と出て行った」(8節)と書かれています。彼らは、 エジプトから命からがら逃げ出したのではありません。エジプト全土に及ん だ災いのゆえに、むしろエジプト人から請われてエジプトから出たのです。 「エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。そうし ないと自分たちは皆、死んでしまうと思ったのである」(12・33)と書 かれているとおりです。

 ところが、イスラエルの民がエジプトを出たとの知らせを受けると、エジ プト王とその家臣は考えを一変いたします。「ああ、我々は何ということを したのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは」 (5節)。そう言って、ファラオは自ら軍勢を率いてイスラエルの後を追い ました。そして、ついにピ・ハヒロトの傍らで宿営していた彼らに追いつい たのです。イスラエルの民が宿営していたのは海辺でした。もはや逃げるこ とはできません。前は海、後ろは追い迫るエジプト軍。イスラエルの民は絶 体絶命の窮地に陥ります。彼らは恐怖におののきました。

 しかし、そこでモーセは民に言ったのです、「恐れてはならない」と。ど うしてモーセはそのような事態において「恐れるな」と語り得たのでしょう か。それは、この危機が神の御手の内にあることを、モーセは知っていたか らであります。

 そもそも、どうして海辺に宿営していたのでしょうか。それは主に導かれ たからでした。主はモーセに言われました。「イスラエルの人々に、引き返 してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい」 (2節)。この命令のゆえに、人々はあえて道を引き返して海辺に来たので す。つまり、彼らが直面している状況は、彼らが主に従ったことの結果に他 ならないのです。

 このことは、彼らの直面している危機的状況が、神の無知や無力のゆえに もたらされたのではないことを意味します。すべての事は、主があずかり知 らぬところで起こっているのではありません。主は知っておられます。そし て、主が知っていてくださるならば、主の御手の内にあるならば、恐れる必 要はないのです。それがモーセの確信でありました。それゆえに、モーセは 彼らに語ったのでです。「恐れてはならない」と。

 聖書は、今日に生きる私たちにも、「恐れてはならない」と繰り返し語り かけます。今、私たちが目にしている状況は、私たちが望んでいたことでも、 私たちが予期していたことでもないかも知れません。私たちはしばしば、予 期せぬ困難の中に自らを見出します。しかし、私たちが主と共にあり、主に 導かれる神の民の中にいるならば、私たちは恐れる必要はありません。私た ち自身も、私たちを取り巻く状況も、すべて主の御手の内にあることを、こ の言葉を通して思い起こさねばならないのであります。

●しっかり立ちなさい、そして見なさい

 次に、私たちはこの言葉の直前に、イスラエルの民が何を言っているかに 目を留めましょう。彼らは言いました。「我々を連れ出したのは、エジプト に墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするため にエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいて ください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人 に仕える方がましです』と言ったではありませんか」(11‐12節)。

 それに対して、モーセは「落ち着いて、今日、あなたたちのために行われ る主の救いを見なさい」と言ったのです。「落ち着いて」と訳されている言 葉は、もともと「立ちなさい」という言葉です。モーセは「立ちなさい、そ して見なさい」と言っているのです。

 しっかりと立つためには、立つべき足場を確かにしなくてはなりません。 自分は何のためにそこにいるのか。自分は何者とされて今存在しているのか。 そのことを確かにしなくては、しっかり立つことはできないのです。

 まさにイスラエルの民の問題はそこにありました。何のためにエジプトか ら連れ出されたのかが分かっていないのです。「我々を連れ出したのは、エ ジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をす るためにエジプトから導き出したのですか」そう言って彼らは嘆きます。

 彼らの多くは、単にエジプトの労役から逃れるためにエジプトを脱出した と思っていたかも知れません。しかし、そうではないのです。彼らは自分た ちが言っているように「連れ出された」人々なのです。実際に連れ出したの はモーセですが、モーセを用いて彼らを連れ出したのは主なる神御自身です。 ならば、そこには主の目的があるはずなのです。

 「ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます」。そうで す、彼らは確かにエジプト人に仕えていたのです。しかし、その彼らを主が 導き出されました。それは、エジプト人に仕えていた者たちが、主に仕える 者となるためなのです。彼らが導き出されたのは、荒れ野で死なせるためな どではありません。エジプト人に仕え、エジプトの神々に仕えていた者たち が、主に仕え、主を礼拝する主の民となるためなのです。

 導き出されたのが何のためであるかを知らないなら、しっかり立てないの です。しかし、それは往々にして私たちの姿でもあります。キリスト者とな ったのは単に苦しみを逃れるためであると考えているならば、より大きな苦 難に直面した時に、きっと言い出すに違いありません。「我々を連れ出した のは荒れ野で死なせるためですか」と。キリストがその血をもって贖ってく ださったのは、また私たちに聖霊を注いでくださったのは、荒れ野で死なせ るためなどではありません。私たちが神の民となるためです。主に仕え、主 を礼拝し、約束の地へと向かう、主の民となるためなのです。

 私たちは、その神の目的を踏まえてしっかりと立たなくてはなりません。 しっかりと立って神の救いを見なくてはなりません。本当に大事なことは、 どうしたら良いかと右往左往することではなくて、しっかりと立って、私た ちを導き出された《主が》何を為し給うかということに目を向けることなの です。

●主があなたたちのために戦われる

 主はイスラエルの民のために何を為されたのでしょうか。モーセは言いま した。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさ い」。しかし、彼らが見たのは、ただ単に、追い迫るエジプトの軍隊を主が 打ち破ってくださるということではありませんでした。彼らは海の中に道が 開かれるのを見たのです!いわば《終わり》でしかなかったそのところに、 《終わり》を突き抜けて進み行く新しい道が開かれるのを、彼らは目の当た りにしたのです!

 神によって道が開かれるということは、そこを歩いて通らなくてはならな いということを意味します。主はモーセに言われました。「なぜ、わたしに 向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」(15節)。 イスラエルの民は進んでいかなくてはなりません。道を開かれるのは主です。 歩いていくのは主の民です。誰も代わって歩いてはくれません。海に開かれ た道を歩いて行くのは恐ろしいことであるに違いありません。「水は彼らの 右と左に壁のようになった」(22節)と書かれています。その中を渡りき ることができる保証はどこにもありません。彼らは何の確かさも持ち合わせ ていませんでした。ただ信じるしかありませんでした。約束の地へと導き給 う主の真実と、彼らを救い給う神の恵みを信じるしかなかったのです。その ように、彼らは信仰によって歩くことを求められたのです。

 主が戦われます。私たちはその戦いに参与します。それは主に信頼して歩 くことによってです。主が私たちの救いのために戦ってくださるならば、も はやいかなるものも私たちを滅ぼす終局とはなりません。主は道を開き給い ます。私たちが主に導かれて歩んでいるならば、主に仕える民であり、約束 の地へと向かう主の民であるならば、いかなるものも私たちにとって《終わ り》ではあり得ません。そうです、主が戦ってくださったゆえに、《死》さ えも、私たちにとって終わりではなくなったではありませんか!

 モーセは「静かにしていなさい」と言いました。私たちはつぶやいてはな りません。疑ってはなりません。絶望してはなりません。希望のない者のよ うに、嘆き悲しんではなりません。私たちは口を閉ざし、静まるべきです。 そして、ただ主の真実と恵みに寄り頼んで、主が開いてくださった道を進ん で行くのです。

 「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主 の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度 と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あな たたちは静かにしていなさい」。主に仕えるべく導き出された民にモーセは 語りました。同じように主に仕え、約束の地へと向かう民として、私たちは この言葉を深く心に留めるべきでありましょう。

 
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