「エルサレムでの受難」
2002年9月15日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録23・1‐22
「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ロー マでも証しをしなければならない」(23節)。ある夜、主がパウロに語り かけた言葉です。パウロがエルサレムにいた時のことでした。主が「勇気を 出せ」と語られた時、パウロはどのような状態にあったのでしょう。この主 の御言葉はパウロにとって何を意味していたのでしょうか。まず、エルサレ ムに到着して後の出来事を簡単に振り返ってみましょう。
●エルサレムで証ししたように
そもそも、パウロのエルサレム訪問には、皆が賛成していたわけではあり ませんでした。むしろ、多くの人がパウロを引き留めたのです。パウロを憎 むユダヤ人たちの本拠地に赴くことは、極めて危険なことだったからです。 しかし、それにもかかわらずエルサレムに向かった目的の一つは、貧しいエ ルサレムの教会に、異邦人教会からの援助金を届けるためでした。また、同 胞であるユダヤ人の救いを何よりも願っていたパウロがエルサレムへと向か うことは、ある意味で必然的なことでもありました。
しかし、そのパウロがエルサレムに到着した時、教会の長老たちから聞か されたのは、ユダヤ人キリスト者たちの間に、パウロに対する根強い反対が あるという事実でした。パウロは、ユダヤ人たちに「子供に割礼を施すな、 慣習に従うな」と教えている、と思われていたのです。これはもちろん誤解 です。しかし、誤解は解かねばなりません。長老たちはパウロに提案しまし た。「わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて 行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してくださ い。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あな たは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります」 (21・23‐24)。馬鹿馬鹿しい話しです。なぜパウロがそこまでしな くてはならないのでしょうか。しかし、彼は提案に従いました。それが主の 御心であると信じたのでしょう。翌日、彼はその四人を連れて神殿に行きま した。パウロは彼らと共に清めの期間を過ごします。ところが、このことが 後にとんでもない災難をパウロにもたらすことになるのです。
七日の清めの期間が終わろうとしていた時のことでした。アジア州から来 たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけました。彼らは群衆を扇動し、 パウロを捕らえて叫びました。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この 男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教え ている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚して しまった」(21・28)。パウロはたちまち神殿から引きずり出され暴行 を加えられました。治安維持のためにかけつけた千人隊長と兵士たちを見て、 ようやく群衆はパウロを殴るのをやめたのです。
パウロは息も絶え絶えであったに違いありません。しかし、彼はなおも民 衆に語りかけようと努めます。兵営の中に連れていかれる途中、彼は許可を 得て、人々にヘブライ語で語り始めました。「兄弟であり父である皆さん、 これから申し上げる弁明を聞いてください」と。そして、パウロは彼らに、 自分の回心の証しを、愛と真実とをもって、切々と語り聞かせたのです。し かし、パウロの言葉は民衆の心には届きませんでした。主イエスがパウロを 異邦人へと遣わされたところまで語ると、聞いていた人々は声を張り上げて 叫び始めたのです。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけ ない」と。大騒ぎの中、パウロは兵営に運び込まれたのでした。
翌日、パウロは召集された民の指導者たちを前に、弁明の機会が与えられ ました。彼らの一部はファリサイ派、一部はサドカイ派でした。サドカイ派 は復活も天使も霊も認めません。ファリサイ派は認めています。パウロがこ こで復活の希望について語り始めるならば、サドカイ派の手前、ファリサイ 派の人々はパウロに理解を示してくれるに違いありません。パウロはおもむ ろに語り始めました。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派で す。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけら れているのです」(23・6)。その結果、二派間に論争が生じました。そ して、確かにファリサイ派の中に、「この人には何の悪い点も見いだせない 」と言う者が起こり始めたのです。しかし、論争はあまりにも激しくなりす ぎました。もはやパウロがそこに身を置くことは不可能でした。こうして結 局、パウロは一言話しただけで、弁明の機会は失われてしまったのです。
これがエルサレムでの日々でした。殴られるだけ殴られて、何一つ良い収 穫はありませんでした。もちろん反対や危険は覚悟の上でした。また、この ようなことは他の地においても経験してきたことでした。しかし、そうは言 いましても、反対を押し切ってわざわざやってきたエルサレムにおいて、ユ ダヤの同胞に対する宣教はあまりにも不毛に思えたに違いありません。また、 ユダヤ人キリスト者たちの誤解も完全に解けたわけではないでしょう。パウ ロも人の子です。不安や恐れを覚えたとしても不思議ではありません。エル サレムに来たことは間違いではなかったか。そんな迷いがパウロの心に生じ たとしても無理からぬことです。
しかし、考えて見れば、パウロほどの目に遭うことはないにせよ、伝道に はいつでも無益と思えるような労苦がつきものです。目に見える結果が出な ければ、自らの信仰に基づいた決断についても、迷いが生じることがあるで しょう。宣教の言葉が受け入れられない時に、宣教の業があまりにも不毛に 思えることもあるでしょう。あの夜のパウロは、今日の教会にとっても決し て遠い存在ではないだろうと思うのです。
しかし、あの夜、主イエスがパウロに現れて言われたのです。「勇気を出 せ」と。慰めと励ましを心底必要としていたであろうパウロに、主が自ら 「勇気を出せ」と語られたのです。主イエスの「勇気を出せ」という言葉は、 「頑張りなさい」「強くなりなさい」「自信を持ちなさい」ということを意 味しているのではありません。これはかつて弟子たちが逆風のために一晩中 湖の上を漕ぎ悩んでいた時に、水の上を歩いて来られた主イエスが語られた 言葉と同じです。新共同訳では「安心しなさい」と訳されています(マルコ 6・50)。安心してよいのです。主イエスがおられるゆえに安心してよい のです。主はパウロのかたわらに立って、そう語られたのです。
そして主は言われました。「エルサレムでわたしのことを力強く証しした ように…」。なんと慰めに満ちた言葉でしょうか。エルサレムにおけるパウ ロの行動は、人の目から見るならば失敗にしか見えないだろうと思うのです。 しかし、主は言われたのです。「あなたはエルサレムでわたしのことを力強 く証ししたではないか」と。主は確かにパウロにしっかりと目を留めておら れたのです。意味無く宙に消えていったような証しの言葉に、混乱しかもた らさなかったように見えた証しの言葉に、主はしっかりと耳を傾けておられ たのです。そして、主はパウロの目を未来へと向けられたのでした。エルサ レムの先にはローマがあるのです。「エルサレムでわたしのことを力強く証 ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と主は言われたので す。
●ローマでも証しをしなければならない
とは言いましても、客観的に見るならば、パウロを取り巻く状況は、極め て厳しいものであったことは事実です。12節以下には次のように書かれて おります。「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺す までは飲み食いしないという誓いを立てた。このたくらみに加わった者は、 四十人以上もいた」(23・12‐13)。パウロが留置されている兵営の 外には、命がけで彼を殺そうとしている人々が四十人以上もいたのです。飲 み食いを断つだけではありません。計画そのものが命がけでした。彼らは、 兵営に監禁されているパウロを最高法院に呼び出し、その移動の途上で彼を 暗殺しようとしていたのです。パウロは当然ローマ兵によって護衛されてや って来ます。そのパウロを襲えば自分たちも命を落とすことになるかもしれ ません。そのことは覚悟の上での暗殺計画でした。そして、この計画につい て祭司長たちや長老たちの協力が要請されました。パウロ殺害のために、ユ ダヤ人の権力機構全体が動き始めています。もはやこの動きを止めることは できません。そのような大きな力の前に、パウロは無力でした。彼は自分自 身を守るために、何をもすることができません。生きてエルサレムを出るこ とさえ不可能な状況なのに、どうしてローマにまで行くことができるでしょ うか。
しかし、主は生きておられます。主は人知を越えた仕方によって、ローマ への道を開かれたのです。物語は次のように続きます。「しかし、この陰謀 をパウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウロに知らせた 」(16節)。この言葉を簡単に読み過ごしてはなりません。これは、単に パウロの甥が陰謀の噂を耳にしたということではないからです。20節以下 を読みますと、彼がパウロ殺害計画の詳細を正確につかんでいることが分か ります。そもそも、このような計画が簡単に外部に漏れるわけがありません。 そうしますと、パウロの甥はこの計画の内部の人間であるか、少なくとも内 部の人間と近い関係にあることになります。ですから、私たちは、パウロの 甥がパウロを助けたことを、自然なことだと考えてはなりません。パウロは もともと厳格な正統的ユダヤ教徒の家庭で育てられた人です。パウロの宣教 活動に最も強力に反対したのは、彼の家族であり親族であったに違いありま せん。しかし、そのような親族の一人によって、パウロは助けられたのです。 神はパウロを助ける者を、敵対する者たちのただ中に備えておられたのです。 パウロが自分の身を守るために、もはや何をも為しえないという状況にあっ た時、神の助けはパウロが考え得るあらゆる可能性の外に備えられていたの です。
そして、さらにローマの千人隊長とローマ兵たちが、パウロを守るために 動き出したのです。彼は最高法院に連れて行かれることなく、直ちにカイサ リアにいる総督のもとに護送されることとなりました。千人隊長がこのよう に対処したのは、恐らくパウロに対する同情からではありません。ローマの 市民権を持つパウロがローマの守備隊の保護下にあるにもかかわらず、簡単 に命を奪われるようなことになったなら、この千人隊長が責任を問われるこ とになるからです。しかも、パウロが訴えられているのは、明らかにローマ 法に対する違反についてではありません。これはユダヤ人たちの律法の問題 であることを千人隊長は理解しておりました。そもそも、このユダヤ人の律 法の問題というものは、ローマの権力者たちにとって最もやっかいな問題な のであって、本当は関わりたくないのです。この千人隊長も、できるだけ早 くこの問題を手放して、総督にあずけてしまいたかったのでしょう。しかし、 主はそのような一人の異邦人のまったく世俗的自己保身的な政治的判断をも、 パウロをローマに送るために用いられたのです!
私たちの目には主の御手は見えません。ですから、人間の熱意や権力を持 つ者の思惑のみが、この世界の現実を決定し動かしているように見えるもの です。しかし、そうではないのだ、と聖書は私たちに教えます。復活の主が 生きておられるのです。その御方は、この世俗の世界のただ中に、今も生き て働いておられるのです。そして、その御方はパウロに語られたように、私 たちにも目を留めて語られるのです、「勇気を出せ」と。