「御言葉を語り続ける」                     使徒言行録28・11‐31 ●懲りない人パウロ  使徒言行録の後半は、特にパウロに焦点を当てております。改めて読み返 します時に、このパウロという人物は、実に変わった人であると思わざるを 得ません。しかし、それだけにまた実に魅力的な人物であるとも思えてくる ので不思議です。  パウロの奇異な人となりを示す印象的な記事は使徒言行録の中にたくさん ありますが、その一つを挙げるとするならば、私は迷うことなく第一回宣教 旅行の途上、リカオニア州のリストラにおいて起こった出来事を挙げるでし ょう。  パウロとバルナバは、その以前にアンティオキアやイコニオンといった町 々で福音を伝えておりました。しかし、それぞれの町でパウロたちは極めて 厳しいユダヤ人の反対に遭うことになります。そして、アンティオキアとイ コニオンのユダヤ人たちは、パウロたちに害を加えるため、リストラにまで 追って来たのでした。14章19節には次のように書かれております。「と ころが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆 を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外 へ引きずり出した」(14・19)。パウロは後にコリントの信徒に宛てた 手紙の中で、石で打たれたことが一度あることを書いていますが(2コリン ト11・25)、それはこのリストラでの経験を言っているのだろうと思い ます。  人々はこの時、間違いなくパウロは死んだと思ったようです。彼らは町の 外にパウロの体を引きずり出しました。他の弟子たちはパウロを助けること ができなかった自分の無力さを思い、無念の涙を流していたことでしょう。 しかし、パウロは死んでいませんでした。彼は立ち上がったのです。石打ち にされたら普通は死ぬのですから、これは明らかに神の奇跡です。神の奇跡 によって命を与えられたのなら、その命は大事にしなくてはなりません。と ころが、「パウロは起き上がって町に入って行った」(14・20)と言う のです。阿呆じゃないかと思います。また同じ目に遭うかも知れないではな いですか。今度は本当に殺されてしまうかも知れません。しかし、パウロは 戻って行くのです。懲りずに戻っていくのです。  幸いどういうわけか何事も起こらず、翌日にデルベへと移動することがで きました。しかし、この出来事に見るパウロの姿は、いわば形を変えて彼の 宣教のすべてを貫いているのです。懲りずに戻っていくパウロ――特に、ユ ダヤ人との関わりにおいて、いわばこのようなパウロの、実に愚かとも言え る姿に、読者は繰り返し出会うことになるのです。  例えば、13章を御覧ください。13章の後半には、ピシディア州のアン ティオキアでパウロが語った説教が収められています。それを聞いた人々は、 次の安息日にも同じ事を話してくれるように頼みました。そして次の安息日 にはほとんど町中の人々が集まってきたのです。しかし、ユダヤ人はこの群 衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対したの です。そこでパウロとバルナバは言いました。「神の言葉は、まずあなたが たに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の 命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行 く」(13・46)。パウロは確かにここでユダヤ人たちに「わたしたちは 異邦人の方に行く!」と捨て台詞を残して異邦人に福音を伝え始めるのです。 しかし、このようなことがあって後、移って行ったイコニオンで、パウロは どこに向かったでしょうか。彼は真っ先にユダヤ人の会堂へと向かうのです。 そして、再び同じようにユダヤ人の敵意に遭遇することになるのです。  もう一箇所見ておきましょう。第二回伝道旅行の途上、コリントにおける 出来事です。18章を御覧ください。パウロはここでも相変わらず、安息日 ごとに会堂において論じ、イエスこそメシアであることを語り続けます。し かし、コリントにおいても、パウロの言葉はユダヤ人たちには受け入れられ ませんでした。結局同じことが起こります。「しかし、彼らが反抗し、口汚 くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血 は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは 異邦人の方へ行く』」(18・6)。そんなことになるならば、初めから異 邦人のところに行けば良いのに、と思います。しかも、パウロがそんなふう に啖呵を切って出ていったのだから、よほど遠くへ行ったと思いきや、なん と彼が移って行ったのは会堂のすぐ隣の家でではありませんか!「パウロは そこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の 家は会堂の隣にあった」(18・7)。  その他の土地においても事情は同じです。パウロはまずユダヤ人の会堂に 向かいます。まずユダヤ人たち対して語りかけます。その度に反対に遭いま す。19章のエフェソの伝道も同じでした。彼はまず会堂において語り始め ます。しかし、ユダヤ人の抵抗に遭います。結局はそこから離れ、ユダヤ人 ではないティラノという人の講堂を借りて伝道を続けることになりました。 約三年に渡るエフェソ伝道において、会堂で語ることができたのは最初のわ ずか三ヶ月だけです。初めから異邦人に向かえば良かったのに、と思わざる を得ません。一事が万事、この調子です。 ●神の憐れみのゆえに  そして、使徒言行録も終わりまで来て、今日の聖書箇所に至ります。やっ とたどり着いたローマです。エルサレムでは暴動に遭い、暴行を加えられま した。訴えられ裁判にかけられました。囚人として移送されたカイサリアで は、不当に二年間も監禁されました。護送される途中で嵐にも遭いました。 島に打ち上げられ、そこで冬を過ごし、やっとのことでローマにたどり着い たのです。そのローマにおける出来事を使徒言行録は最後にページを割いて 伝えます。パウロは何をしているのでしょうか。彼はユダヤ人たちに語りか けているのです!  彼は朝から晩まで説明を続けました。神の国について力強く証しし、聖書 を引用して、イエスこそメシアであることを語り続けたのです。朝から晩ま で語り続けるということは大変なことです。その労苦の結果はどうだったの でしょうか。「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じよ うとはしなかった」(24節)と書かれております。その後のパウロの言葉 から察するに、信じようとしない人々の方が圧倒的に多かったのでしょう。 彼らが立ち去ろうとした時、パウロは最後にこう言いました。「聖霊は、預 言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。『こ の民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は 閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、 心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』だから、この ことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼ら こそ、これに聞き従うのです」(25‐28節)。結局、ローマに来てまで 同じことを繰り返しているパウロの姿を、私たちは見ることになるのです。 しかも、これが使徒言行録の終結部なのです。  愚かと言えばまことに愚かです。世間では、このように懲りずに同じこと を繰り返す人を、「学習能力がない人」と表現いたします。しかし、それに もかかわらず、私はこのパウロの姿に惹かれます。なんとも魅力的です。そ れはなぜだろうかと考えました。恐らく、このパウロの姿に、聖書の神さま の姿が重なってくるからであろうと思うのです。  私たちが旧約聖書の中に見るのは、裏切られても裏切られても、なおもイ スラエルを求められる神の姿です。イスラエルに呼びかけ、関わり続けられ る神の姿です。パウロが引用したのはイザヤ書の言葉でありました。これは イザヤが預言者として遣わされる時の言葉です。主はイスラエルが頑ななこ とを承知の上で、反抗するであろうことを承知の上で、なおもイザヤをイス ラエルの民に遣わされ、語りかけようとしておられたのです。「彼らは目で 見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは 彼らをいやさない」と言っておきながら、では滅びるにまかせてしまうのか と言えばそうではなくて、そのような民に預言者を遣わされるのです。おか しいではないですか。しかし、聖書の神さまは、そのようなおかしなことを 繰り返される神さまなのです。  パウロの愚かに見える行動の根底にあるのは、この神の心であったに違い ありません。パウロがあくまでもユダヤ人に御言葉を宣べ伝えるのは、単に パウロの同胞意識が強いからではないのです。それはパウロの書いた手紙を 読むと分かります。パウロは今日の箇所で「この神の救いは異邦人に向けら れました」と宣言します。しかし、ローマにいる信徒たちに書き送った手紙 において、彼はイスラエルの民について、次のように書いているのです。 「では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそう ではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン 族の者です。神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいま せんでした。…」(ローマ11・1‐2)。パウロは、自分がキリスト者と されている事実に、イスラエルを決して見捨てられない神の憐れみを思わざ るを得なかったに違いありません。神が退けておられないゆえに、パウロも 退けることはできないのです。神が見捨てておられないゆえに、パウロも見 捨てることはできないのです。ですから、「わたしは異邦人の方へ行く」と 言いつつも、繰り返し同胞のもとに戻って来るのです。戻って来ざるを得な いのです。  そして、このパウロの伝道に現れている神の憐れみこそ、また私たちに向 けられている神の憐れみであり、この世界に向けられている神の憐れみでも あることを、私たちは改めて思わされるのです。罪にまみれた、誤りにに満 ちた教会の歴史にもかかわらず、なおこの地上に教会が残されているのはな ぜでしょう。私たちのような者が、今なお集められ、御言葉が今なお語られ ているのはなぜでしょう。それこそ、神が御子を遣わされた世界を、神が十 字架を立てられたこの世界を、神は決して見捨てられないという憐れみのし るしではありませんか。  それゆえに、私たちは神の憐れみのゆえに、神の愛に動かされ、御言葉を 宣べ伝え続けるのです。「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪 問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣 べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(30‐31節)。この 使徒言行録の終わりの言葉に、続きを書き足していくのは、同じように神の 憐れみにあずかった私たち自身です。神の御国が来たり、神が救いを全うさ れる終わりの日まで、私たちはこの物語の続きを生きるのであります。