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「神が求めておられること」

2003年1月12日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生
聖書 申命記10・12‐13

 今年も多くの人々が初詣に出かける様子をテレビで放映していました。皆、 多くの願いを携えて行かれたことでしょう。人々の心を占めているのは、 「わたしは何を望んでいるか、わたしは何を求めているか」ということであ ろうと思います。しかし、私たちはここに集まって、「今、あなたの神、主 があなたに求めておられることは何か」という御言葉を聞いているのです。 私たちは、まず第一に、このことを考えねばなりません。

●幸いを得なさい

 では、今、わたしたちの神、主が私たちに求めておられることは何でしょ うか。12節、13節には多くの事が列挙されているように見えますが、結 論は一番最後です。それは私たちが幸いを得ることです。

 新共同訳で「幸い」と訳されておりますこの言葉は、実は聖書に600回 以上も繰り返し出てきます。その中でも一番印象的な箇所を一つ見ておきま しょう。創世記1章4節をお開きください。「神は光を見て、良しとされた 」。ここでは「良し」と訳されております。これは天地創造の物語です。神 がこの世界を創造された時、神がその一つ一つを指して「良しとされた」と 言われる箇所です。先の申命記の言葉も「あなたが良きものを得るため」と 訳すこともできるでしょう。いずれにせよ、このことは聖書の語る幸いがな んであるかを良く指し示しているように思います。幸いとは、神が良きもの として創造されたこの世界の中で、神が創造された良きものを、神の良き御 意志、神の善意のもとに受け取って、それらを享受して生きることなのです。 この世界を良き世界として本当の意味でエンジョイして生きられることなの です。それこそが神の求めておられることなのです。

 申命記というのは、ご存じのようにモーセの説教です。これは、イスラエ ルの民が約束の地に入る直前にモーセを通して語られた説教という設定にな っております。イスラエルの民がカナンの地を与えられ、そこに生きるよう になるということは、まさにその地において良きものを得、幸いを得るため であったことが分かります。この世界のただ中で、神が本来人に求めておら れる幸いを実現するために、彼らは約束の地を与えられたのです。いわば幸 いになることは、イスラエルの使命だったのです。そして、今日、教会の使 命でもあります。私たちの使命でもあるのです。主は、私たちが幸いを得る ことを求めておられるのです。

●神を畏れ、愛しなさい

 しかし、そのことを神がイスラエルに求められたということは、言い換え るならば人間が幸いを得ていないことを意味するでしょう。この世界は神が 創られ、神が良しとされた世界であるにもかかわらず、人は本当の意味でこ の良い被造物世界を享受して生きてはいないのです。むしろ目に見えるモノ との関わり、隣人との関わりが、多くの災いと悲しみをもたらしているので す。それはなぜなのでしょう。人はいかにして幸いを得れば良いのでしょう か。

 今日お読みしました箇所には、私たちが真に幸いを得るための前提となる ことがいくつか書かれております。その中心は主を畏れることと主を愛する ことです。特に主を愛するということは申命記における中心主題です。これ は聖書に独特なメッセージであるとも言えるでしょう。イスラエルをとりま く周辺諸国の諸宗教には「神を愛する」という概念はありませんでした。そ れは日本の宗教事情を考えても分かりますでしょう。初詣に「神さま、私は 神さまを心を尽くし魂を尽くし力を尽くして愛します!」と言いに行く人が いるでしょうか。いないだろうと思うのです。それはカナンの世界も同じで す。

 そのようなカナンの世界のただ中に住もうとしていたイスラエルの民に、 モーセは「主を畏れ、主を愛しなさい」と言ったのです。人間の真の幸いは、 神を愛するところにこそあるからです。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽く して主を愛するところにこそあるのです。

 しかし、私たちは、主を愛するということを、単に情緒的なこととして捉 えてはなりません。ここで言われていることは、単に神さまを好きになりな さい、ということではないのです。もし、そうであるならば、申命記は34 章も必要ありません。一ページぐらいで済むでしょう。申命記が34章もあ るのは、カナンの地でどのように生活をしたらよいかという具体的な事柄が 記されているからです。そのように、愛するということは具体的なことなの です。既に結婚しておられる方は、愛するということ、愛し合って生きると いうことが単に情緒的なことではないことを知っておられるはずです。愛す るということ、愛し合って生きるということは、具体的な行為を伴った生活 なのです。信仰における神と人との関わりも同じです。

●主を礼拝しなさい

 では、主を愛するとは具体的にどのようなことでしょうか。第一に、それ は主に仕えることです。12節にこう書かれております。「主を愛し、心を 尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え」。では、神に仕えるとはどう いうことでしょう。実は、申命記、あるいはそれに続く歴史物語において、 「主に仕える」という言葉が第一に意味することは、主を礼拝するというこ となのです。仕える者としてイメージされているのは礼拝者であり、礼拝す る民なのです。ですから、申命記には礼拝に関することがたくさん出てくる のです。

 どうして、ここで礼拝のことが出てくるかと言いますと、イスラエルの民 が入っていくカナンの世界には、既に土着のバアル礼拝があるからなのです。 バアル礼拝とは、豊穣神礼拝です。それは豊作と繁栄を求めての礼拝です。 つまり、それは人間の欲望や願望が中心に置かれている礼拝なのです。

 カナンのバアル礼拝は、私たちにとって、決して無縁ではありません。こ の国の宗教事情は、このカナンの世界のそれに非常に良く似ています。それ ゆえに、私たちの献げる礼拝も、いつの間にか人間中心の人間の願望の反映 でしかなくなるということは十分にあり得ます。そこでは「主があなたに求 めておられることは何か」ということには関心がなくなってしまうのです。 私たちの礼拝がバアル化することは起こり得ることなのです。キリスト教か ら私は何を得られるか。教会から何を得られるか。礼拝に出て私は何を得ら れるか。そこにしか関心のない人は、願望が満たされなくなった時に、礼拝 者でもなくなります。そのようなキリスト者は、主を愛していないし、主に 仕えてもいないのです。

 私たちが主を愛するのは、主が私たちをまず愛してくださったからです。 主が愛してくださった、主が救ってくださった、その恵みに対する愛の応答 が礼拝なのです。主の愛に応えて主に仕えるのです。主が愛して、私たちを 招いてくださいました。だから、私たちは招きに応え、愛してお仕えし、主 を礼拝するのです。神は私たちが真の礼拝者となることを求めておられます。

●主に聞き従いなさい

 そして、主を愛するということは、第二に、主に聞き従うことです。「わ たしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って」(13節)と書かれてお ります。「戒め」「掟」という言葉が出てくると、すぐに「これは律法主義 だ」「これは旧約的だ」などと言い出す人がいるものです。とんでもないこ とです。ヨハネによる福音書14章で、主イエスもまた「あなたがたは、わ たしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハネ14・15)と言っ ておられます。聖霊が遣わされるのは、まさに主の言葉に従って生きられる ようになるためなのです。

 律法主義とは、主を愛することを抜きにして、掟だけが一人歩きすること です。主を愛することなしの掟への従順は律法主義となります。しかし、そ の逆もあり得ます。主を愛していると言いながら、主の求めておられること が何であるかに関心がなかったら、主に従おうとする意思が全くないならば、 それは主を愛していることにならないでしょう。

 エデンの園には、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあら ゆる木がありました。人はそれを大いに喜んで食べてよかったのです。エン ジョイしてよかったのです。しかし、エデンの園の中央には、食べてはなら ない木がありました。それは神の戒めを表します。エデンの園には、神の戒 めがあったのです。彼らは神に創造された者として、神への従順を求められ たのです。食べてはならない木があるからこそ、エデンの園がエデンの園で あり得たのです。食べてはならない木を失った時、人はエデンの園も失いま した。私たちは、今年、主の御言葉にしっかりと耳を傾けたいと思うのです。 私たちが聖霊の働きによって清められ、かたくなな心が取り除かれた従順な 民となることを、神は求めておられるのです。

 さて、このように、主はイスラエルに約束の地を与え、そこにおいて彼ら が主を畏れ、主を愛して生きることを求められたのでした。主を真実に礼拝 する、主に従順な民を求められたのです。それはすなわち、本当の幸いを知 る民を造ろうとされたということでありました。それは彼らが諸国民の間に あって、神の良き御心を指し示すしるしとなるためでした。「イスラエルよ。 今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か」。私たちは、幸 せにならねばなりません。神がそのことを求めておられます。私たちが、ま ことに主を愛する民として、この暗い世界のただ中にあって、神の国の幸い を指し示すしるしとなることを、神は求めておられるのであります。

 
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