「キリストの体としての教会」
2003年8月10日 主日礼拝
日本キリスト教団 大阪のぞみ教会牧師 清弘剛生, 東京神学大学生 久下倫生
聖書 コリントの信徒への手紙一 12章12-31節
7月から3ヶ月にわたって、コリントの信徒への手紙を学ぶことになって おります。説教準備のために繰り返しこの手紙を読みますと、パウロの激し い叱責の言葉が気になります。使徒パウロはこのコリントという町によほど 腹をたてているようにも思えます。そこで当時のコリントという町がどうい う町であったか、人々がどういう暮らしをしていたかを理解しておくことは、 この手紙を読む上で、大切な背景と思われます。19世紀の末からアテネに ありますアメリカ古代研究所の手によってコリントの発掘が行われ、今日私 たちもまた、パウロが歩んだ道を自ら踏みしめることが出来ます。パウロが 見たかもしれない礎石や石畳を見ますと、当時そこに行き交った人々の雑踏 の雰囲気をさえ実感できます。ここはパウロを苦しめ、それゆえ彼が大いに 力を尽くした町でもあります。
地図を開いてみましょう。コリントは驚くべき有利な地形に恵まれていた ことが分かります。まさに千金の値を持つ「地峡」(細長い陸地)となってお ります。ギリシアを南北に往来するものは、必ずそこを通るという陸の橋に なっております。またイオニア海とエーゲ海を東西に船で行くものは、この コリントを海の橋としました。つまりこの地峡は幅わずか6キロしかなく、 もし船がペロポネソス半島を迂回しますと320キロは行かないといけませ んし半島南端はマレア岬という難所です。そこで交通はコリントを中継点と しておりました。小さな船は船ごと陸上を輸送され、大きな船は、荷物を陸 送して、反対側の港で待つ船にバトンタッチしておりました。アレキサンダ ー大王もユリウス・カエサルも、また皇帝ネロもここに運河を掘ろうとしま した。ネロは紀元66年、金のシャベルで鍬入れ式をしたと記録されていま す。しかし実際に運河が出来たのは19世紀末だったのです。
このような交通の要所、貿易の要となるコリントは、皆さんのご想像になる ように、おおいなる力を持ちまして、一度はローマに完全に滅ぼされました が、ユリウス・カエサルが紀元前46年に再建してからは、以前にもまして 大繁盛いたしました。町の住民は、兵役を終えたローマの市民、ギリシアの 大商人、一儲けしようというユダヤ人、フェニキア人、フルギヤ人、さらに 東方のもろもろの人々、まさにそこは現代で言えばニューヨークだったので す。地中海の国際人間見本市の感を呈しました。ある聖書学者の言葉ですが、 「知的にはぬけ目なく、物質的には豪勢で、道徳的には腐敗した」大都市コ リント、「貴族もなく、伝統もなく、確立された市民もいない」植民地、と よばれています。
もうひとつ、加えることがあります。この町のアクロ・コリントという岩 山の頂上にはアテネのアクロポリスに似た、ヴィーナス、別名アフロディテ 女神を祭る神殿があり、巫女の数1000人と言われます。夜になるとこの 人たちは山を降り、「聖なる淫売婦」つまり神殿娼婦となっていたのです。 当時「コリント人のように生活する」という言葉があったそうです。欲望の ままに生きる、とでも言いかえられるのでしょう。歌舞伎町か吉原という感 じだったのでしょうか。この町からパウロがローマに送ったといわれるロー マ人への手紙1章を見ますと(26-32節を朗読)、町の実態が写されて いる感じがします。
長所も勿論ありました。コリント市主宰の運動会は、オリンピアの大会に 負けないもので大人気でしたし、学芸はアテネには負けるにせよ、当時のギ リシアの哲学者も大勢おりました。コリント地方総督は哲学者セネカの兄ガ リオでした。アカヤ(今のギリシア)地方のローマ帝国総督府はコリントに君 臨して、文化都市アテネもその支配下にありました。政治経済の上では群を 抜いた存在でした。そしてここでパウロは、アクラとプリスキラに出会い、 シラスとテモテの応援を得て、伝道を成功させ、コリント教会を築き上げたの です。
以上のような理解のもとに、聖書のみ言葉を学びたいと思います。 まず第一に学びたいのは、12章は、聖霊の賜物(与えられたもの、才能、 ギフト)について、すなわち聖霊のはたらきによって与えられる豊かさに関 して語られているということであります。コリントにはさまざまな人がおり ましたから、実に個性豊かであったのでしょう。数えてみますと知的、信仰 的、そして異言に関する賜物、計9種類の賜物が挙げられております。そこ でこの教会では、おのおのの個性、賜物が自慢の種になり、お互いどれほど優 れているか、どれほど豊かに聖霊の賜物を持っているかが争われたようであ ります。そしてとうとう賜物を乱用、誇示して礼拝を混乱させるという事態 に至っておりました。まあ恥ずかしい話だと思いますが、翻って、私たちの 教会はどうでしょうか?奉仕において、裁きあっていないでしょうか。信仰、 知識、愛、キリスト者としての美徳、これらは聖霊が与えてくださるもので す。パウロがくりかえし、同じ霊、唯一の霊、と強調しているのを見ますと、コ
リントには多くの霊、異なる霊があったことが想像できます。人は容易に聖 霊を自分のものにして、これは聖霊のはたらきということが出来ます。特に 何か奇跡を行う力、預言する力、賛美する力などがあるときです。教会の混 乱は通常このように、何かの力に恵まれた人が引き起こします。牧師と副牧 師、牧師とオルガニスト、役員同士、聖歌隊の指揮者と独唱者などが引き起 こす混乱は、いつでもどこでも見ることが出来ます。ですから私たちは、こ れは悪徳のコリント教会の話として読み流すことは出来ないのであります。 11節の「これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊 ”は望むままに、それを一人一人に分け与えて下さるのです。」という言葉 をかみしめたいと思います。聖霊が、影響力とか能力ではなく、活ける人格 としてお働きになるということであります。現れ方は違っていても、大元に は同じ唯一の聖霊の意志があるということであります。
そして第2に学びたいことは、今日読まれた個所ですが、私たちがキリス トの体であり、一人一人がその部分であるということであります。(27節) この聖書の個所は読めば誰にでもわかるように書かれてあります。そうだ、 みんなが体の一部で、働きが違うのだから、違いを受け入れて、みんなひとつ の体、教会の枝として仲良く励みましょう、となりがちです。現代の感覚で理 解できるからです。しかし、私たちがキリストの体であり、一人一人がその 部分であるということは、単なる比喩やたとえではありません。私自身は無 意識にそのように読んでしまう者です。医学・生物学を学ぶものにとっては ごく自然に、「私たちは体のようなもの」で生命体なのだと読んでしまいま す。しかしこれはいくら強調してもし過ぎではなく、パウロは「キリストの 体なのだ」と言っております。この点について、7月20日の清弘牧師の説 教を覚えておられる方も多いと思います。十字架にかけられ復活なさり、天 にあげられたキリストは、この地上に神様の御心を実現させるための体を持 っておられます。教会はそのキリストの体なのだとパウロは言います。キリ スト者であるということは、このキリストの体の一部であり、キリストと体 の部分は有機的に結ばれ、その関係は命として永遠なのです。復活なさった キリストは死に支配されていないからです。こう清弘牧師は語られました。
コリントにはユダヤ教とは全く異なる背景を持ち、旧約聖書を強く否定し、 パウロの教えを自分なりに勝手に理解していた信徒がいたようであります。 この当時地中海世界に支配的だった考え方は、グノーシスといわれます。 グノーシスとは「知る」あるいは「認識」というギリシア語から来た言葉で す。従って神を知る、神とひとつになる、神秘的経験を重んじておりました。 キリストが弟子たちだけに与えた秘密の教えを知ろうとし、物質世界を悪と 考え、霊的な世界を聖なるものと考えておりました。「近い、親密、一つと なる」ことが目的でありました。この世という悪からの開放、私たちのよく 知っている言葉でいえば「悟り」とか「自覚」に近いかも知れません。物質 世界を作ったとされる旧約の神、イスラエルの神を否定しておりましたから、 当然旧約聖書の話は聞きません。今日の教会にも隠れグノーシスがおりまし て、愛の神は怒ったり戦争を肯定したりしないといって、旧約を読まない人 が時々おります。コリントには、救いを得て、牢獄であるこの世から神のも とへ魂が帰ることを願って教会にきている人たちが大勢いました。ここから どういう生活態度が出てくるかといいますと、「禁欲主義になって肉体をい じめるか、放縦主義に陥って非道徳になる」か、「この世界を逃避するか、 攻撃的になってでたらめをする」かということになります。実のところ、こ れはコリントに限らず私たちにも大変なじみ深いものでありまして、現代の 精神分析は大体この形になっております。あなたが悪いのじゃないですよ、 環境がよくないですね、職場を変えてみなさい。悪い先生がいますね、みん なで協力してやっつけましょう。違いますか?
パウロは13節でこう言います。(新共同訳とは異なる訳で読みます) 「つまり私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、ひとつ の体となるようにただひとつの霊によって、バプテスマを受け、そしてすべ てのものがひとつの霊を飲むものとされたのです。」
これは驚くべき言葉です。いま風にいえばユダヤ人もパレスチナ人も、イ ンド・カーストの僧侶も奴隷もひとつになるというのですから。奇跡といえ ましょう。これが実現すると言うのです。聖霊によって洗礼を受け、聖餐式 の杯に連なることによって、それまで絶対に超えられなかった隔ての壁を越 えることが出来るのです。ひとつの霊を飲むというのは、聖餐式のことでは ないかもしれませんが、11章の後半が聖餐に関する教えであったことを考 えますと、不自然ではないでしょう。
繰り返します。
パウロが伝道した人々は大きな違いを持った人たちでした。ユダヤ人とギ リシア人、奴隷と自由人がイエス・キリストの教会の中に、兄弟としてひと つとされました。地上のいかなる力も克服できないはずのこの対立を、主イ エスは廃棄されたのです。なぜなら十字架にかかってくださったキリストが 神様への信頼を与え、奴隷にも自由人にも神への愛を与えられたからなので す。ここでは洗礼と聖餐が水やパン・ぶどう酒のこととして語られず、聖霊 にかかわる事として語られています。大切なことは、自分の能力も個性も他 人のそれらもおなじ聖霊によって与えられ、同じ聖霊の導きで洗礼を受け、 同じ主の聖餐に預かっているということであります。そこではもはや私たち の違いは、断絶ではなくなるのであります。
祈ります。父なる神、今日、共に礼拝できたことを感謝いたします。私たち の教会を主の一致の中におき豊かに導いてください。主イエス・キリストの 御名によって祈ります。