「主の晩餐にあずかるために」 2008年7月20日 主日礼拝 日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生 聖書 コリントの信徒への手紙I 11章23節~34節 主の晩餐という特別な食事  私どもの教会では毎月第一主日に聖餐を行います。洗礼を受けている人は前に出て小さなパンと小さな杯に注がれたブドウ汁を受けます。聖餐を毎週行う教会もあります。私どものように月に一度、あるいはそれ以下の頻度で行う教会もあります。いずれにせよ、私たちは毎週、聖餐卓のある会堂に集まります。聖餐卓を囲んで集まっているのです。  さて、私たちはそのように小さなパンをいただき、小さな杯に注いだブドウ汁をいただくのですが、教会は初めからそのような形で行っていたのではありません。最初はごく普通の食事だったのです。もちろん、イエス様が「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われたことに基づいて食事をするわけですから、各々が家で食事をするのとは全く意味合いが異なります。形は同じでもやはり特別な食事です。教会はこれを「主の晩餐」と呼びました。そして、主の晩餐にあずかることを、「主のパンを食べる」また「主の杯を飲む」と表現したのです。  見た目は普通の食事でありましても、それは「主の晩餐」という特別な食事であるわけですから、それにはふさわしいあずかり方があるはずです。いや、見た目が同じであるからこそ、そのあずかり方が問題になるのでしょう。今日の第二朗読の箇所において、パウロは「主の晩餐」がイエス様の言葉、しかも「引き渡される夜」十字架の死を目前にしているイエス様の言葉に基づいて、この「主の晩餐」がなされていることを改めて思い起こさせています。そして、こう続けるのです。「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」(27節)。「主の晩餐」にあずかる人は、そこで主の体にあずかるのだということをわきまえずに、ごく普通の食事のようにあずかってはならないのです。  もちろん今日の私たちが行っている聖餐において、これをごく普通の食事と間違えてあずかる人はいないでしょう。通常の飲み食いとは違う特別なことを行っているのは、誰の目にも明らかです。「主の晩餐」が主の御言葉に基づくことも、毎回この聖書箇所が読まれることによって確認されます。しかし、それでもなお私たちは自らに問いかける必要があるでしょう。「私たちは主の晩餐を本当に主の晩餐として行っているだろうか。私たちは本当に主の体をわきまえて、主のパンを食べ、主の杯を飲んでいるのだろうか」と。それとも、「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだり」しているのだろうか、と。そもそも、「ふさわしくないままで」とはどういうことでしょうか。何が問題とされているのでしょうか。 「主の晩餐」ならぬ「自分自身の晩餐」  そこで私たちはこのコリントの教会でいったい何が起こっていたのかということに目を向けたいと思います。今日読まれた箇所の少し前から読んでみますとすぐに分かりますのは、コリントの教会に仲間割れがあったという事実です。「まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います」(18節)。  しかもその仲間割れは、主の晩餐を主の晩餐でないものにしてしまうような問題をはらんでいたのです。20節以下には次のように書かれています。「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」。どうですか、皆さん。なるほど、これはひどい話です。これではいくらなんでも「主の晩餐」を行っていることにはなるまい、と私たちでも思います。  しかし、ここで問題になっていることが何であるかは、正確に読まねばなりません。そもそも、なぜある者は先に満腹しており、既に酔っぱらってさえいるのでしょう。なぜもう一方のある者は空腹でいるのでしょう。なぜそのようなことが起こるのでしょう。--それは教会に集まることができる時間が異なるからなのです。どうして、集まることのできる時間が異なるのか。それは、教会が異なる社会層の人々を含んでいたからです。例えば、ある者は奴隷であり、ある者は奴隷の主人でした。そこには社会的な格差があります。経済的な格差があります。その頃、通常、集会は夜行われていました。富んでいる者は早く来ることができます。貧しい者は長く労働しなくてはなりません。ところが貧しい人たちがやっと労働から解放されて集会にかけつけた時には、既に先に来ていた人たちによって、「主の晩餐」のほとんどは食べ尽くされていたのです。  「俺たちの分を残しておかないなんて、あんまりじゃないか!」そう言って抗議すればよいのでしょうか。しかし、そうはいきません。もともと食事の材料は教会員の自発的な献げ物によって成り立っていたのです。食事の多くを提供するのは、富んでいる人たちでした。そのような彼らが、先に「主の晩餐」を始めてしまったとしても、貧しい人たちは文句を言うことができません。そのような事情があるので、22節でパウロはこう言っているのです。「あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会をみくびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と。  しかし問題は、ただ単に貧しい人たちに対する配慮が欠けていたということではありません。そうではなくて問題は、そのようなことがよりによって「主の晩餐」においてどうして起こり得たのか、ということなのです。  そこで注目すべきは21節の言葉です。「各自が勝手に自分の分を食べてしまうからです」とパウロは言います。「自分の分」と書かれていますが、これはもともと「自分自身の晩餐」という言葉なのです。「主の晩餐」を食べるために集まっているはずなのですが、それが「主の晩餐」ではなく「自分自身の晩餐」になっていた、ということなのです。  もちろん、先に集まった人たちは、イエス様のことを全く考えないで飲み食いしていたわけではないでしょう。彼らは、「主の晩餐」を食べているつもりでいたのです。単に空腹だったから先に食べていたわけではないのです。空腹を満たすためだけなら、わざわざ教会に集まって食事をする必要はないのですから。彼らが早い時間に集まっていたのは、ある意味では熱心だったからであるに違いありません。そのような彼らが、早くから集まってくる他の“熱心な人々”と一緒に、少しでも早く主の晩餐を行おうとしたのは、ある意味では主を求める熱意の現れでもあったと言えるのです。  しかし、それがどれほど熱心な敬虔な行為であったとしても、彼らが食していたのは「自分自身の晩餐」でしかないとパウロは言うのです。「自分自身の晩餐」でしかないから、早く来れない貧しい人のことが視界に入らないのです。主が招いてくださっている他の人々のことなど視界に入らないのです。いや、むしろ視界に入らないほうが、「自分自身の晩餐」は楽しめるものなのです。実際、彼らは社会的にも経済的にも似たような者たちと共に、信仰熱心な自分たちの集会を多いに楽しんでいたに違いありません。しかし、それはもはや「主の晩餐」ではないのです。 共に主の体と血にあずかる  さて、そのようなことは今日でも起こると思いませんか。いくらパンの形を変えても、どんなに儀式的に行おうと、恭しく敬虔そうにパンを受けようと、感動の涙を流そうと、それが主の晩餐ではなくて「自分自身の晩餐」になってしまうことは起こり得ると思いませんか。それが信仰的な欲求にせよ、世俗的な欲求にせよ、結局は自分が満たされることだけを求める礼拝、そのような聖餐。他人に煩わされないで、ともかく自分が満足したい礼拝、そのような聖餐。それはもはや「主の晩餐」ではありません。「主の晩餐」においては、ただ自分が食べるだけでなく、《共に食べる》ということが本質的な意味を持っているのです。  そこでパウロは、あの最後の晩餐における主の言葉を、改めて彼らに示します。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」(24節)。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(25節)。先にも触れましたように、主がそのように言われたのは、イエス様が「引き渡される夜」でした。引き渡されて、主は十字架にかけられるのです。殺されるのです。主はそれを承知の上で語られたのです。彼らのために、そして私たちのために、罪を贖うために、十字架の上にその体が釘付けられ、血が流されることを前提として、主は「これはわたしの体」「これはわたしの血」と語られたのです。  ですから、「主の晩餐」とは、まさにイエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むことに他ならないのです。本日の福音書朗読(ヨハネ6:52-59)においても読まれたとおりです。キリストが私たちの救いのために、自分の体を裂いて、血を流して、私たちに与えてくださったのです。それが「主の晩餐」です。  そのように「主の晩餐」が、イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むことであるならば、その「主の晩餐」にあずかるお互いは、とてつもなく太い絆で結び合わされることになります。キリストの命という絆で結び合わされることになるのです。その絆はあまりにも太いので、人間同士を引き裂くいかなる隔ての壁をも突き破って結びつけてしまうものなのです。貧しいか富んでいるか。いかなる社会層に属するか。ユダヤ人か異邦人か。男であるか女であるか。愛国主義者の熱心党であるか、非国民とされる徴税人であるか。それらは「主の晩餐」において、本質的な意味を持たないはずです。キリストが体を引き裂き、血を流し、その肉と血を食べさせて、結び合わせてくださったのですから。それゆえに実際、教会において、奴隷と主人が一緒に食事をするというような奇跡が起こったのです。ユダヤ人と異邦人が食事を共にするという、到底起こり得ないようなことが起こったのです。「主の晩餐」とは、本来そのようなものであるはずなのです。それが主の体のことをわきまえて「主の晩餐」にあずかるということなのです。  コリントの信徒たちは、本当に主の体のことをわきまえて主の晩餐にあずかっているかどうか、自分をよく確かめる必要がありました。コリントの教会は、富める者と貧しい者とが互いに待ち合わせることによって、共に食事をすることによって、本来の「主の晩餐」を回復しなくてはなりませんでした。そして、私たち自身もまた、自分を確かめる必要があるのでしょう。もし「主の晩餐」によってさえ打ち壊されないで残っている隔ての壁があるとするならば、それは何かがおかしい。私たちはキリストの肉とキリストの血をいただいていることを本当に思って「主の晩餐」にあずかっているのか。そのことを確かめる必要があろうかと思うのです。