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「おめでとう、恵まれた方」

2009年12月20日 主日礼拝
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 ルカによる福音書 1章26節~38節

天使のお告げ

 このクリスマス礼拝で読まれましたのは「受胎告知」として知られている場面です。天使ガブリエルがマリアに現れてこう言うのです。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。マリアは驚いたことでしょう。天使が現れたのですから。きっと困惑したことでしょう。しかし、彼女が驚き戸惑ったのは、天使が現れたからではありませんでした。「この言葉に戸惑い…」と書かれています。天使の言葉に戸惑ったのです。そうです。「おめでとう、恵まれた方」といきなり言われたことに戸惑ったのです。天使はそんなマリアの戸惑いを見逃しませんでした。すかさず「おめでとう」の内容を親切に説明します。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(30‐31節)。

 なんともひどい話です。天使は「恐れることはない」と言いますが、マリアにとってこれほど恐ろしい話はないのです。マリアはこの時、ヨセフと婚約していたのです。結婚の祝いの日を、心躍らせながら待ち望んでいたのです。ユダヤ人として敬虔な家庭をヨセフと共に築いていくことを夢見ていたに違いありません。しかし、天使のお告げは、平凡な乙女のそんなささやかな夢を粉々に打ち砕いてしまうような内容だったのです。「あなたは身ごもって男の子を産む」。そう天使は言いました。明らかに婚約者のヨセフとは関係なく、ということです。それがどのような事態をもたらすか、マリアに分からないはずはありません。ヨセフとの結婚が破談になるだけではありません。ヨセフが告発したならば、マリアは姦淫を犯した女として処罰を免れないでしょう。実際、ヨセフは後に苦しむことになるのです。マタイによる福音書には、「ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:19)と書かれています。「ひそかに縁を切る」というのは、「罪を告発しないで縁を切る」ということです。

 とにかく、マリアが夢にも思わなかった人生の大混乱を天使は携えてきたのです。いや、マリアの想定外の出来事はこの結婚に関することだけではありません。やがて男の子が生まれます。イエスと名付けられるその男の子は、やがてユダヤ人の宗教的な伝統に真っ向から逆らうようなことを始めるのです。ユダヤ人の権力者たちから目を付けられることになる。やがては十字架に磔にされて殺されることになる。マリアは自分の息子が十字架に磔にされて殺されることになるのです。そのような、マリアの全く想定しない方向に展開していく人生を、天使は携えてきたのです。

 しかも、この天使はマリアの意向を打診しにきたわけではないのです。「神様がメシアを誕生させるに当たりましてですね、あなたの胎を用いたいと仰るのですが、あなたのご意向はいかがでしょうか?」そんなことガブリエルは聞いていませんでしょう。もう決まっているのです。マリアとは関係ないところで、波瀾万丈の人生となることは決まっていて、そのことをまさに「お告げ」に来たのです。もう決まっているものを手渡すために携えてやってきたのです。

 さて、天使が現れるこの場面。毎年一回は耳にする話です。しかし、何度耳にしていても、それこそ単なる「おとぎ話」としてしか聞いていないかもしれません。ページェントなどで子供が演じる話としてはいいけれど、現実にはこんなことあり得ない。そう思ってはいませんか。しかし、考えてみますと、この話は私たちにとって極めて現実的な話なのです。

 私たちの人生は常に私たちの思ったとおりに展開していきますか。そんなことないでしょう。想定外のことはいくらでも起こるではありませんか。時として、いきなりジェットコースターに乗せられて、突然落ちたと思えばまた上がって、いったいどこに向かっているのは分からないけれど、とにかく猛スピードで思いがけない方向に人生が進んで行ってしまう。そういうことは、いくらでもあるでしょう。思いがけない重荷を背負わされること、険しい道のりを歩かされるようなこともあるでしょう。そのような時に、皆さんは前もって打診を受けますか。「しばらく混乱と苦難の続く人生となる予定なのですが、お引き受けになりますか。それとも断りますか。」そんなふうに意向を尋ねてもらいましたか。そんなことはないでしょう。意向を尋ねられることなく、一方的に与えられてきたはずです。それはまるで天使がいきなり携えてきて、一方的に告知するようなものではありませんか。要するに、私たち凡人には天使が見えたり、その声が聞こえたりしないだけの話で、起こっている事柄は基本的には同じなのです。今日お読みしたのは、私たちの現実とは無関係なおとぎ話などではないのです。

おめでとう、恵まれた方

 そう考えますと、聞き捨てならないのはこの天使ガブリエルの言葉です。よりによってこの天使はこう言ったのです。「おめでとう、恵まれた方」。どう思いますか、こういう天使。「あなたはヨセフと結婚して幸せな家庭を築くことになりますよ」というお告げを携えてきて「おめでとう、恵まれた方」と言うなら話は分かります。そうではなくて、全くマリアが願ってもいなかったこと、夢想だにしなかったこと、しかも願ってきたことを台無しにするような事態を携えてきて、「おめでとう、恵まれた方」はないでしょう。実際、私たちだったらどうですか。「何が『おめでとう』だ!おめでたくなんてないだろう!」そう言って天使を罵倒するかもしれません。

 しかし、この箇所を読んでわかりますように、天使ガブリエルは冗談や皮肉で「おめでとう」と言っているわけではないのです。大真面目に言っているのです。そして、実際どうだったでしょう。マリアは不幸な人だったでしょうか。いいえ、そうではないことを私たちは知っています。確かに、マリアは神によって身籠もって、それゆえに結婚は危機に晒されることになりました。やがて赤ん坊が生まれる時には出産のための場所がなくて、結局、家畜小屋で出産することになりました。しかも、なぜか生まれた男の子がヘロデ大王に命を狙われることになって、彼らはエジプトに逃れて難民生活を余儀なくされました。後になると、息子のイエスは長男であるにもかかわらず、神の国を宣べ伝えると言って家を出て行ってしまいました。その数年後にマリアは息子イエスがかけられている十字架のもとにたたずむことになるのです。マリアの生涯は苦難に満ちていたと言えます。しかし、私たちは彼女が不幸な人ではなかったことを知っています。

 「おめでとう、恵まれた方」というこの言葉。天使が大真面目に言っているこの言葉。私たちに大事なことを示しています。苦難があることは、必ずしも不幸を意味しない。自分が望んだように人生が展開しないことは、必ずしも不幸を意味しない。苦難に満ちた人生であったとしても、必ずしも不幸な人として一生を終える必要はない。そういうことです。そこでなお人は幸福であり得るのです。恵まれた人として生きることができる。「おめでとう、恵まれた方」と言われるような一生を送ることはできるのです。

 ではいったい、どのようにして。大事なのはその部分です。天使は何と言っていますか。「おめでとう、恵まれた方」と言った後に、こう続けているのです。「主があなたと共におられる」。そうです。「主があなたと共におられる」ことによってです。主が共におられるならば、その人は幸いな人、恵まれた人として生きることができるのです。

 では「主が共におられる」とはどういうことでしょう。神様が共におられるということは、必要な時にすぐにお願い事ができるようにいつでも側にいてくださる、という意味ではありません。必要な時にサッと呼び出せる召し使いのような神様が一緒にいることではありません。そうではなくて、主が私たちの人生を用いてくださるということです。私たちのこの体を、私たちのこの存在を用いてくださるということです。神様が用いてくださるということは、言い換えるならば、私たちの一生が意味を持つということです。無意味に終わらない。マリアの一生はキリストの母親としての一生として用いられたのです。

 人間の幸福は、神様と共に歩んで、神様に用いていただくところにこそあるのです。自分の一生を誰かのために。誰かの救いのために。神様が誰かを愛するために、自分の一生を用いていただく。そこにこそ人間の幸福はあるのです。だからマリアに対しても、「おめでとう」と言えるのです。そして、ここにいる私たちも同じです。「主があなたと共におられる」。私たちは単に偶然にここにいるのではありません。私たちが今、こうして共に集まって礼拝をしているのは、まさに「主があなたと共におられる」というしるしです。主はあなたを用いようとしていてくださる。今どんな状態にあったとしても、恵まれた人、幸福な人として生きることができるのです。

 そこで大事なのは、このマリアの言葉です。マリアはこう言ったのです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」「はしため」とは召し使いです。仕える人です。いわばマリアは「主よ、わたしをお使いください。お用いください」と言って、自分を差し出したのです。私たちが「どうぞ用いてください」と言って自分自身を差し出して生きていく。その時に、主は私たちの人生を真に意味あるものとしてくださるでしょう。もしあなたが自分自身を「どうぞ用いてください」と言って差し出すならば、あなたを通して誰かが神の愛に救われることになるでしょう。どうぞここから新しく主と共に歩み始めてください。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」。

 
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