Page 2: 熱心な祈りを捧げる
Chujoh Gisuke On Prayer In Korea

Authored by Rev. Chujoh Gisuke, Japan
Translated by M.A.F, Georgetown, IN, USA
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韓国教会繁栄の理由:日本の伝道者が体験したことの三章中條儀助

 ▽ 3日目 一九八四年三月六日(火)

 〇時五〇分に床についたのだが、四時五〇分には起きた。ちょうど睡眠時間は四 時間である。韓国に来ると、たいたい一日平均して三―――四時間しか眠る時間がない。

 五時から七時まで早天祈祷会。この集会は、院長の李先生が、司会と説教を行う。 そして、七時から早天祈祷会に出席している、二〇〇人余りの一人ひとりに按手する。 それが九時すぎまで続くので驚いてしまう。

 李(イ)院長が一人で四時間以上、司会をし、説教し、按手し続けるのである。 実に驚くべき体力である。韓国の指導者は、このように体力的にもすぐれており、
大胆に働いている。

 私は、午前七時に自分たちの部屋に帰って、一〇数人の牧師たちと話しながら、 交わりの時をもった。ここは日本海側に近く、また38度線にも近い山の中という 位置である。地方の小さな教会からきた牧師、伝道師が多い。その地方の困難な 様子をうかがう。一人の伝道師が三つ、四つの小さな伝道所を巡回して集会を守って いる。集会は四〜五人で献金もほとんどない。そのため一ヵ月一万円以下の謝礼で生 活している伝道師、牧師も多い。しかし、日本とは違って、どんなに貧しく苦しくて も、決してアルバイトをしない。ただ神の言葉の福音宣教だけをしている。

 まさに、初代教会の殉教者の生活ともいえる。このスピリットが、韓国教会全体
には流れている。

 韓国での祈祷院での喜びは、説教することはもちろんだが、多くの牧師や伝道師 と日本語で伝道、教会のこと、また文化まであらゆる面にわたって、話し合い、交 わりを深められることである。そして、狭い部屋で共に寝て食事し、生活を共に することができることである。

 さて、この日、午前の集会が私の担当である。午前一〇時から讃美と祈りの時を もち、午前一〇時五〇分――― 一二時三〇分まで「神の愛」について、有名な
ヨ ハネ三章一六――― 一八節をテキストにして話した。

 韓国では二時間も説教する場合、二〇分間ごとに讃美と祈りの時をもつ。そのた め、韓国の讃美歌を四―――五曲覚えておく必要がある。また習慣として、大声 を出して一緒に祈る時をつくらなければならない。

 パウロがコリント人への手紙の中で語っているように、「ユダヤ人には、ユダヤ 人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし 自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のように……」(・コリント九・ 一九―――二三)の御言葉どおりにしなければならない。

 この集会の参会者は、咋夜以上の三五〇人ぐらいで会堂の隅々までいっぱいだった。 さらに午後と夜は、牧師のために特別セミナーを行い、私は四〇人の韓国の牧師、 伝道と伝道、牧会、祈りなどについて説教し、質疑応答の時間を設けていろいろ と話し合ったり、聞く機会に恵まれた。

 前日の日記にも書いたように、これが楽しく、また本当の学びもできる。

 大都会や都市の教会ではなく、地方の教会、農村教会、小さな教会、伝道所の生 の姿を聞くことは、誠に有意義である。セミナーが終わっても、私の部屋に常に、 一〇人ぐらいがつめかけてきて、休むことも、ねむることもできず、この日も一 二時に床についた。“主よ!あなたのお守りを感謝します!一切をゆだねます!”
アーメン!

 ▽4日目 一九八四年三月七日(水)

 四時五〇分に起床。外は氷がはって大変寒い。五時に会堂に入ると、すでに二〇 〇人以上の人々が汗を流し、祈りと讃美をしている。

 だから会堂に入った瞬間、寒い北極から赤道直下の国へ入った感じさえする。実 に人工的な火でははくて、聖霊の火に燃えているのだ。この火は、寒さを暖める ばかりか、人間の中にある“氷点”、原罪を焼きつくす十字架の火であり、
ペンテコステの火である。

 この火こそ、いま日本の教会がいや、世界の諸教会が求めている火である。この 火は、祈る時に与えられ、燃え上るのである。

 私は「神に聞かれる祈り」と題して、第一回目を話す。

 その内容のアウト・ラインは―――

 ・ 主の臨在を覚えて祈れ(マタイ一八・二〇、二八・二〇、ヘブル一三・八)

 ・ 時間をかけて祈り続けよ(ルカ二二・二九―――四六、エペソ六・一八………)

 ・ 御言葉を握って祈れ(ヨハネ一五・七)

 ・ 感謝をもって祈れ(ピリピ四・六、コロサイ四・二、使徒一六・二五――)

 ・ 信じ切って祈れ(マタイ二一・二一 ―――二二、マルコ一一・二二―――二四)

 ・ 待ち望んで祈れ(ルカ一八・一、ローマ一二・一二)

 ・ 切実さをもって祈れ(サムエル上一・一〇――― 一一、列王下二〇・一 ―――六)

 ・ 誠意をもって祈れ(詩篇一四五・一八)

 ・ 熱心に祈れ(ルカ二二・四四、使徒一二・一 ――― 一七)

 ・ 勝利を目ざして祈れ(出エジプト一七・八――― 一三、ヨシュア六・一 ―――二〇)

 以上を午前五時二〇分―――六時四〇分まで説教する。会衆は、昨日の早天祈祷 会とだいたい同人数で二五〇人ぐらいである。説教後、七持三〇分まで、祈りな がら讃美の時をもった。朝食後、牧師、伝道師とお話をしているうちに、午前の 聖会が始まった。午前一〇時三〇分に礼拝堂に入ると、いつも以上に、聖霊の火 が燃え上がっている。私は、午前一一時――― 一二時三〇分まで、ヨハネによる 福音書二〇章二二節の御言葉から「聖霊を受けよ」というテーマで説教した。

 聖霊のバプテスマを、受けなければならない理由を五つ挙げた。

 ・ 救いの確信を明確にするため(ヨハネ九・二五)

 ・ 内なる人が強くされるため(エペソ三・一六)

 ・ 霊的な力を受けるため(使徒一・八)

 ・ 熱心なキリスト者になるため(黙示録三・一四――― 一九)

 ・ 苦難、困難の時にも勝利するため(ヨハネ一六・三三)

 以上を、会衆三五〇人に向かってメッセージする。午前は、祈祷院の近くの洞窟 を有志の人たちとともに楽しく観光し、ここでも主にある友の親しき交わりがで きた。ハレルヤ感謝。夜は八時から一〇時まで、李院長が司会、説教、指導…… 等を一人でする。私も出席し大いなる恵みと祝福をうけた。集会後、祈祷院牧師 室で四〇人の牧師、伝道者と交わりをし、一二時ごろねむりにつく。今日も精一 杯、主のために働き感謝のみ!

 ▽5日目 一九八四年三月八日(木)

 午前四時三〇分に目が覚める。五時に礼拝堂に入る。相変らず汗と涙の流れる讃 美が続いている。中には昨晩より、礼拝堂の中で、徹夜祈祷を続けている人々も 五〇―――六〇人はいる。礼拝堂の中に入っただけで電気に圧倒されるようだ。こ れこそ、日本の教会にいや私の教会に、私自身に必要な力である。

 午前五時二〇分から六時三〇分まで、昨朝に続いて「神に聞かれる祈り」の二回
目を説教する。

 最初に、マタイによる福音書一八章一九節を通訳の*相徳牧師が朗読する。私
の説教の要旨は―――

 《11》 一つ心で祈れ(マタイ一八・一九)

 《12》 全力を尽して祈れ(申四・二九、エレミヤ二九・一二――― 一三、
ローマ 一五・一〇)

 《13》 聖霊によって祈れ(エペソ六・一八、ローマ八・二六―――二七、ユダ 二〇)

 《14》 断食して祈れ(ダニエル九・三、使徒一三・二―――三、一四・二三)

 《15》 愛に根ざして祈れ(エペソ三・一四――― 一九)

 《16》 とりなしの祈りをせよ……主イエスの十字架上の祈り、ステパンの祈り、
アブラハムの祈り

 《17》 先まわりして祈れ……悪魔より先手、先手に祈れ

 《18》 罪をざんげして祈れ(ネヘミヤ一・六)ダビデの祈り(詩篇)

 《19》 涙を流して祈れ(イザヤ三八・一 ―――六)

 《20》 主の聖名によって祈れ(ヨハネ一四・一三――― 一四、一五・一六、
一 六・二四、使徒三・一 ――― 一〇)

 説教中に讃美を三回、合同の祈りも三回もった。朝食を八時―――八時三〇分ま で行い、すぐに精雪の山中を散歩に出た。外はマイナス一〇度の寒さである。驚 くことに、祈祷院の集会のない場合には、ある者は白い雪の山中に、ある者は岩 かげで……“密室の祈り”をしている。雪と氷の中で、ひざまずいて寒さも忘れ ていく人が熱心に祈っていた。“絶えず祈れ”と聖書が語っていることを、その まま本気で実行しているのである。散歩している約一時間余りの間に、途中で、祈っ ている人々の姿を何回も見たし、姿は見えないが祈りの声が山中の木立のかげや
岩間から聞こえてきた。

 なんと、素晴らしい聖地であろうか!

 一〇時三〇分から、午前の聖会(集会)が始まる。私は祈りつつ、一一時に礼拝 堂に入り、一一時一〇分から一二時四〇分まで説教した。

 説教は、使徒行伝一三章二一節をテキストにして「主の手にゆだねよ」という
題だった。

その要旨は―――

〈導入〉 韓国では主のことを「チュー」と呼ぶ

〈本論〉

I 主の御手とは何か

 ・ 天地、万物を創造した手(詩篇一九・一、イザヤ六六・二

 ・ イスラエル人をエジプトから解放し、救い出し、勝利を与えた手(申六・ 二一、出エジプト一五・六)

 ・ ライ病にさわり、清める手(マタイ八・一 ―――、マルコ一・四〇―――)

 ・ ペテロを、海の中から救い出した手(マタイ一四・三一)

 ・ 五つのパンと二匹の魚で五〇〇〇人を養った手(ヨハネ六・一)

 ・ 十字架上で、釘に打たれた愛の手(ヨハネ二〇・二〇)

 ・ 祝福の手(ルカ二四・五〇―――五一)

II 主の御手は、どこにあったか?誰と共にあったか?

 ・ 福音のために迫害され、苦しめられたキリスト者と共にあった(使徒一一・ 一九)

 ・ 主イエスの福音を、伝道している者と共にあった(使徒一一・二〇)

III 主の御手にゆだねた結果

 ・ 大勢の人々が信じ、救われ主のものとなった(使徒一一・二一、二四)

 ・ 神の恵み、祝福、喜びが、他の人々にも分け与えられた(使徒一一・二三)

 ・ 聖霊に充満し、信仰が強化された(使徒一一・二三―――二四)

 ・ 信仰の確信が与えられた(使徒一一・二三)

 ・ 他人を励ますことができるようになった(使徒一一・二三)

 ・ クリスチャンと呼ばれるようになった(使徒一一・二六)

 ・ 他の人々や、教会を授助することができるようになった(使徒一一・二九、
二〇・三五)

<結論>箴言三章五―――六節「一切を委ねよ」と叫び給う主にゆだねよ!

 以上の内容の説教を朝、一時間三〇分にわたって行った。祈祷院なので全員が信 者(バプテスマは受けているか、受けていないか分からないが)である。みんな、 それぞれの目的を抱いて、祈祷院にきて神に祈るのである。そのため招きとか、 決心の時は、特別にもつことはない。集会では決断の祈り、献身の祈りを何回も激し
く行う。

 午後一時三〇分〜二時まで昼食をし、その後、山を下って、町のホテルに行き久 しぶりに風呂に入る。祈祷院や田舎の教会には、風呂もシャワーもない。日本人 やアメリカ人と生活習慣が違う。しかし、最近、ソウル市内のアパート、マンション や新しい家には、シャワーや風呂が出来て、ホーム・ステイをしても心配なくなった。 日本人は畳の生活に慣れているので、韓国のように、ベッドでなく床に寝ることはで きる。しかし、風呂がない生活は大変苦しい。二〇数回の韓国伝道のうちで、一週間、 風呂もシャワーもなかったことが六回ほどある。だから、韓国伝道を本当にしようと するならば、一週間でも二週間でも、風呂やシャワーなしの覚悟が大切である。久し ぶりの風呂を終えてから、ホテルのベッドで一時間ほど仮眠した。このホテルの一部 屋を二時間、借りて使用しただけで五〇〇〇ウォン(日本円で約一五〇〇円、四五 ドル)とられ大変高く感じた。

 午後、六時ごろ、祈祷院に帰り、夕食をすませ、七時三〇分――― 一〇時まで集 会
に参加した。

 今晩は院長先生が、司会と説教を一人では果たした。まったく驚きである。ただ の主婦であり、神学校にも行かず、神学も、ろくに学んでいない婦人である。ペ テロのように、普通の人である。しかし、この院長は断食しながら、祈りに祈っ て神から、知恵と力、それに信仰と愛が与えられ、全くすばらしい霊の人である。 だから院長の集会に全韓国から、教団、教派を越えて、いつも四〇―――五〇名 以上、それぞれ立派な牧師たちが参加しているのである。

 どこに魅力があるのか。人間的なことではないと思う。しかし、集会のために、 講壇に立った彼女の姿は、聖霊に満たされたステパノや、ペテロのようである。 あるいはマルチン・ルターのようである。午後一〇時――― 一一時まで、祈祷院 の牧師室で、二〇数人の牧師と交わりをもち、午後一一時――― 一二時まで、院 長室で二〇数名の方々と按手祈祷をした。

 そして、感謝と平安を祈りながら、一二時に床につき、すぐに熟睡した。

 ▽6日目 一九八四年三月九日(金)

 四時二〇分に目が覚める。約四時間の睡眠だ。しかし、聖霊の助けによって、い つも健康が守られている。五時前に洗面を終え、五時一五分に礼拝堂に入る。今 朝もいつもながらの熱気!否!霊気が充満している。会衆の全員が汗を流して、讃 美し祈っている。私にとっては、今朝の早天祈祷会がこの祈祷院での最後の集会 である。今朝は、特別に李院長先生が、敬意を表して司会をしてくれる。李院長 が司会をすると、いつもよりも激しい霊の力が注がれ、祈りも讃美も天に響くよ うにすさまじい。私は、午前五時三〇分―――六時四〇分まで、ヨハネによる福 音書一五章一六節より「御霊の実を結べ」と題して説教をする。

 その要旨は―――

 ・ 私たちは、どうして生きているのか。なぜ今ここにいるのか。その理由は?

  ア、父なる神の招き(ヨハネ六・四四)

  イ、神の選びと招き(ガラテヤ一・一)

 ・ 何故!神は私たちを招いてくださったのか、その目的は?

  ア、実を結ぶため(ヨハネ一五・一六)

  イ、その実がいつまでも残るため(ヨハネ一五・一六)

 ・ 実とは何か。どんな実があるのか

  ア、悪い実=肉の実(マルコ七・二一 ―――二二、ガラテヤ五・一九―――二 〇)

  イ、良い実=霊の実(ガラテヤ五・二二―――二三)

 ・ どうしたら良い実(霊の実)を結べるか

  ア、主イエス・キリストに、しっかり結びついていること(ヨハネ一五・五)

  イ、一粒の麦として、主イエス様のように、死ぬこと(ヨハネ一二・二四)

  ウ、神の恵みを知り、体験し、それを伝えること(コロサイ一・六)

 以上の内容の説教をする。途中、三曲ほど讃美し、合同の祈りをする。集会は、 午前七時に終わった。出席者は二八〇名以上である。

 集会後、祈祷院のリュー伝道師に、院内を案内していただく。驚いたことに、こ の祈祷院には、精神病患者の部屋が四つあり、一部屋には五〜六人いる。そして、 この人たちを参加させ、治療するのである。朝食後、李院長と院長のご主人であ る朴(パク)観師任が挨拶にこられた。そして院長からは、五日間の集会に対す る謝礼をいただいた。私には六〇万ウォン、通訳の*先生に三〇万ウォンであ る。非常に驚いた。今まで韓国にきて、こんなに多額の謝礼をいただいたことは ない。一般的には、日本でもアメリカでも韓国伝道に行く時は、自分のお金でい く。それなのに、たった五日間の集会で、韓国の牧師の二ヵ月分をいただいたの だ。感謝し、神の恵み、賜物として受け取った。感謝の祈りを捧げ、午前一〇時 二〇分、*先生の運転する小型バスで祈祷院をあとにした。

 乗車してから、五時間後の午後三時二〇分に聖徳教会に到着する。まず、礼拝堂 で感謝の祈りを献げた。祈祷院で激しく熱祷した者は、教会や家庭でも祝福の熱 祷、真実な祈りをするものである。

 ・ その他の祈祷

 山中祈祷

 試練や追害があればあるほど「神との対話=祈り」が必要だ。韓国キリスト教会 史をみていると、日帝や共産主義、さらに軍国主義に追害されると、信仰の純粋 性を保持するため、ただ主イエス・キリストの父なる神との交わりを求める。人 間の助けではなく、天地万物の創造主のふところである、山中で神に助けを求め
て祈るのである。

 祈祷院についての項目の中でも、少し触れたように、主イエス様は、大事な
時に必ず山に入り、 誰にもじゃまされることなく、一人で父なる神との交わりをした。

 韓国のキリスト者は、主イエス様に見習い、知識としてそれを知るのでなく、自 分で体験し実行するのである。ソウル市近郊には、山が多い。金曜、土曜日の夜 には多くの人々が祈るために山に行く。「アボジー 父よ)」「チュー 主よ)」 ……と呼ぶ声が山全体に響きわたっている。これは気候のいい春、夏、秋ばかり ではない。マイナス二〇度の、周囲が氷や雪で、おおわれているときでも同じで ある。

 私は冬、38度線に近い、祈祷院に行ったとき、祈祷院の集会が午後一一時に終わっ てからも、人々は山の中に入り、一晩中、大きな声を出して、祈り続けているの を見ている。厳寒と空腹を克服して祈る姿に、祈りの力や、秘訣の極みをかい間 見る
ことができた。

 また、男子伝道会(壮年会)や女子伝道会(婦人会)、青年会や学生会が、一日 中山に入り、五〜六時間祈りつづけることもあり、夕方から山に入って、夜を徹 して
祈ることもある。

 いずれにも私は参加し、五〜六時間、または一晩中、誰とも対話せず、ただ神と だけ対話するということの素晴らしさを体験した。“祈りは人間の独言である” とか“祈りは主の祈りだけで十分である”とか“祈りは三分間で十分である”と いう理屈をつけて、祈らない現代キリスト者は韓国へ行って、山の中に入り、彼 らと共に祈ることが必要であると思う。

 断食祈祷

 現代の日本は飽食の時代なので、飢えとか、食糧不足ということがまったくわか らない。しかし第二次大戦中と、その後の食糧不足を体験した者にとっては、一 度でも食べないことが、どんなにつらいことかを知っている。

 聖書をみる時、祈りと断食が結びついている。例えば……

 1、サムエルは、イスラエル人を断食させ、主の前に悔改めの祈りをした。(サ ムエル下七・五―――六)

 2、ユダの王ヨシャパテは、エドムの大軍が攻めてきたとき、ユダ全国民を断食 させて主の助けを祈り求めた。(歴代下二〇・二―――四)

 3、エズラは敵が攻めてきた時、王に助けを求めたことを恥じ、断食して神に求 めた。(エズラ八・二二―――二三)

 4、ダニエルは、主の預言者エレミヤの臨んだ主の言葉を聞き、悟った時、断食 をして祈った。(ダニエル九・一 ―――三)

 5、アンテオケ教会の人々は、バルナバとサウロ(後のパウロ)を異邦人伝道に 送り出す時、断食して祈った。(使徒一三・一 ―――三)

 6、主イエス様は、バプテスマを受けた後、荒野で四〇日四〇夜、断食して祈ら れた。(マタイ四・二、ルカ四・二)

 韓国のキリスト者は、御言葉にまったく信頼と服従をし、忠実に実行すべく、あ らゆる面で努力している。主イエス様が四〇日四〇夜、断食して祈られたので「私も」 「私も」と見習い、主イエス様のようになりたいと。私は、四〇日四〇夜、 断食をした牧師、伝徒に会い、その体験を聞いたことがある。

 ただ、長期の断食には危険が伴う。断食祈祷して死んだ人もいる。死んだ、ほと んどのケースは断食中ではなく、断食後のアフタケアーの失敗からである。

 韓国の祈祷院には、断食祈祷院もある。最近できた日本の祈祷院は、ほとんど
が断食祈祷院である。

 人間の最大の欲望である食を断ってまで、神に祈る姿勢が韓国教会の復興の大
きな一因となっている。

その他の祈り会を列挙してみる。

 国会祈祷会(一九六四年より始まる)

 大統領祈祷会(一九六五年より)

 実業人祈祷会

 法曹人祈祷会

 国際朝祷会(一九七〇年より)

 この影響のもとに、道知事朝祷会、市長朝祷会、警牧(警察署牧師)朝祷会があ る。このように、韓国ではあらゆる時、あらゆる場所、あらゆる状況で、祈りを もってすべてが始まるのである。

*私のパソコンはこの字がありません。すると、それが形成してみます。

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