Page 2: IV章2頁 伝道に命をかける
Authored by Rev. Chujoh Gisuke, Japan
Translated by M.A.F, Georgetown, IN, USA
Japanese English Sermons Under Scrutiny
Page 2: IV章2頁 伝道に命をかける
テキストの続ける。
Back To Page 1 Of Koreans Risk Their Lives For Missions
中條儀助様, 千葉県習志野市鷺沼4丁目8番9号
『韓国教会繁栄の理由:日本の伝道者が体験したことの四章中條儀助著』
IV章2頁 伝道に命をかける
▽ 九月二九日 (水)
朝四時に、礼拝堂横の部屋で、李伝道師に起こされる。それから準備し、午前四 時三〇分から、金牧師の司会で早天祈祷会が進められ、私は四時四〇分から五時四 〇分まで、使徒行伝一二章一 ‐ 五節をテキストにして「神に聞かれる祈り」そ の・を宣教する。
会衆は五〇人ぐらいで、そのうちの約三〇人が婦人である。韓国教会の力は、婦 人によるところが大きい。老婦人も、赤ちゃんを背負った若夫人も出席し、涙を流し、汗まで流 して、体全体で祈っている。実に美しい姿である。集会は午前六時に終わったが、 まだ多くの人たちが祈り、讃美し続けている。私は、復興会の早天祈祷会では原 則として「祈り」について、四回(火・水・木・金の朝)中でも「神に聞かれる祈 り」について、聖書から引いて語ることにしている。すなわち神に祈って聞かれ た例話を、すべて聖書の中の出来事から用いている。
睡眠の時間が少ないので、講師は、復興会で早天祈祷会後の午前六時から八時ま では、寝る習慣がある。私はなかなか、眠れないのだが、少しでも床(ベッド)に入っ て、体を安めるようにしている。この間に今まで語ってきたメッセージの内容、そ れに対する会衆の反応や、次のメッセージについて祈り、考えることにしている。
韓国での朝食は、午前九時ごろである。日ごろ、わが家では七時にしているので、 待ち遠しい。咋夜の六時三〇分ごろ、夕食をとったあと、夜の聖会では二時間、早 天祈祷会で一時間のメッセージをしている。
韓国人は、朝食を大切にする。大変なご馳走を出し、またよく食べる。「朝、栄 養のあるものを十分食べないと、十分な働きができない」と言う。日本人やアメリ カ人とは対象的である。これは今後の健康保持のためによく考慮すべきことだろ う。
午前の聖会が始まる三〇分前、一〇時から、李伝道師の指導のもとに讃美と祈り がもたれる。一〇時三〇分に金牧師司会で集会が開始され、必ず、ほかの教会の牧 師がきているので、その牧師に特別な祈祷をしてもらう(場合によっては長老か執 事が祈る)。この祈りは、大変長い祈りだ。実にその内容は豊かで、しかも切実な 祈りをする。
私は、この日、テモテへの第二の手紙、四章一節から八節をテキストに「御言葉 を宣べ伝えよ」というテーマで、午前一〇時四五分から一二時三〇分までメッセー ジする。会衆は六〇 ‐ 六五人くらい。近所の人が多くて、そのほとんどは婦人 である。韓国教会では婦人である。韓国教会で婦人伝道会が中心であるといって もいい。婦人の力は大きい。婦人を通して、福音が広がっているのが韓国教会の 現実であるといってもいいくらいだ。
婦人たちにこの日は、特に私自身のあかしと、インドの首切り旅に伝道した、ス コット先生のあかしを通してメッセージした。これは、昨夜、牧師、伝道師、教会 役員との話し合いの中に私の伝道経験を問われたからである。集会は午後一時に 終わった。昼食は執事の方が、海の近くにあるレストランまで(小型バスで一時間 半以上)つれていってくれ、一〇人でいろいろな種類の刺身をお腹一杯食べた。大 変な出費である。聞いてみて驚いたが、目玉が飛び出るくらいである。しかし、 韓国の使徒は、講師・牧師を最高にもてなすことを至上の喜びとする。
帰りがけに、ナザレ聖潔教会の教会員の家(梨園)に寄り、祈りと讃美をし、さら に、培域長老教会(朴春基牧師)にも寄って、牧師一家と共に祈りと親睦の時をもっ た。ここでも復興会の依頼を受ける。午後六時に教会に帰った。そしてすぐにま た金牧師と私と通訳の朴伝道師の三人は、金牧師の弟の薬局を訪問し、そこで祝 福の祈りをささげる。この弟は、毎月、東水原教会に二四万ウォンを什一献金と して献げていて、信仰一節のキリスト者である。この一帯で良い証しを立て、兄 の伝道を一家をあげて助けている。神に忠実に従い、教会のために献げれば、献 げるほど、神は仕事(商売)を祝福して下さり、三坪の店で始めたのが五坪、一〇 坪と増して下さった、と喜び一杯で話していたことが、印象的で今も私の心に暖 かく残っている。
執事宅で、午後六時の夕食が約束されていたが、遅れて七時に着いた。テーブル いっぱいに載せて所狭しとばかり、愛にあふれる食事を準備してくれていた。しか し、さきほど二時三〇分に昼食し、梨園でも食べ、培域長老教会でもご馳走にな り、薬局でお茶を飲んでいたので、お腹が一杯である。私が食事の感謝と、この 家庭への祝福の祈りをする。三〇分間この家にいて、七時四五分に教会に帰る。 すでに李伝道師の指導の下、讃美と祈りが行われている。金牧師が「三〇分間休 んで、八時一五分ごろ、講壇に上ってきて下さい」と言われたので、その間一人 で静まっていた。
この夜の聖会では、使徒行伝一一章一九節から二一節の聖書をテキストに「主の 御手にすべてを委ねよ」とのテーマで、八時三〇分から一〇時三〇分まで、約二時 間メッセージをとりついだ。一〇〇人ぐらいの会衆で、会堂はいっぱいである。 熱気に溢れている。一言、語ると「アーメン!」と返ってくる。「ハレルヤ」と 言えば「アーメン」と応答してくれる。いつ、メッセージを終えてよいか困って しまうくらいだ。しかし「神は無秩序の神」(・コリント一四・三三)ではなく、 「平和の神でる」。集会は、金牧師によって一〇時四五分に終わりの宣言がされ た。
そのあと牧師、教会の信徒有志とともに、一二時まで話し合い、親睦した。
▽ 九月三〇日 (水)
ほとんどの教会では伝道師が、その大きな働きの鍵となっている。
本音で言うならば、韓国の教会は伝道師によって支えられ、保たれている。五〇 〇人以上の教会の牧師は、教会からだいぶ離れた所に、アパートを買ってもらい、 そこで高級な生活を送っていて、早天祈祷会には、なかなか出席してこない。教 会の中の小さな部屋に住んでいる副牧師か、伝道師がほとんどの集会を指導し訪 問伝道し、牧会指導を行っている。しかも給与は、牧師の二分の一か三分の一で ある。しかし伝道師はそのような苦難を、神の与えたもう平安で乗り超えて、教 会復興のために働いている。したがって、伝道師を上手に指導できない牧師の教 会は、何年たっても成長しない。私の知っているある教会では、伝道師がきて二 ‐三年たつと、必ず二〇‐三〇人の教会員を引きつれて、近くで開拓伝 道を始めてしまう。この八年間に三回もそれがあった。伝道師の教会における役 割の重要さを見せつけられる。
午前一〇時三〇分から、金牧師の司会で午前の聖会が始まった。私はマルコによ る福音書一六章一四節から二〇節の聖書の言葉をテキストにして、一〇時四五分か ら一三時三〇分まで「全世界にキリストの福音を!」というテーマで宣教した。 メッセージの内容は「なぜ、伝道しなければならないのか!」すなわち、伝道の 目的について、聖書の言葉だけを用いて話した。会衆は、約七〇人ぐらいである。
昨日と同様、婦人が大部分である。宣教が始まってからしばらくして、ソウルの 聖徳浸礼教会の亠裴*(ペ)相徳牧師と、松川浸礼教会の高鍾京牧師、大田文 旨浸礼教会の柳(ユウ)志銭牧師が集会に出席された。続いて、ソウルの大林長老 教会の崔( チェ)北烈牧師夫妻も、かけつけてくれた。崔牧師が、今回の東水原長 老教会に、私を紹介してくださったのである。集会は一二時五〇分に終わり、そ の後三〇分間ほどお交わりをした。主にあっては、基督教長老派も浸礼派も一つ である。素晴らしい愛の交わりといえる。
昼食には、執事夫妻が、水原でも最も有名な、韓国式レストランに招いてくれた。 予約の人数より五人も増え、全部で一五名になり、美しい七色の虹の輝き光る、噴 水の横の一番いい場所で、カルビーをみんなでお腹一杯いただいた。次から次へと、 美味しい牛肉が運ばれる。それを焼いて食べる。ともあれ韓国人はよく食べる。 失礼な言い方かも知れないが、招かれた人々は遠慮するという気持ちがないよう に思う。この時とばかり腹一二分に食べるように思われ、少々日本人の気質と違 うことを感じる。こんなことを日本で真似したら、安い牧師給は一回で吹き飛ん でしまう。そんなことを考えるのは、不信仰のゆえ愛がないからだろうか。
金(キム)牧師は、日本からきた私を配慮して、午後三時すぎに近くのサウナ風呂 に連れていってくれた。そこで、理髪までしてもらい、ゆっくりさせていただい た。
帰り途に金牧師のアパートに寄って、牧師のお父様の歓迎を受け、祈り親睦した。 そのあと、沈執事宅へ。この執事夫妻は、三〇歳くらいの若い方だが、集会には全部 出席し、一番前の席に夫婦で座っている。いろいろの面で、模範的なクリスチャン 夫婦である。
どこの国でも同じことだが、若い夫婦が教会に出席し、教会の働きの中心になっ てもらいたいものだ。韓国の教会では、このような若い夫婦が子供を連れて、集会 にきている姿をよく見る。この家庭の夕食も、大きなテーブルに載せきれないほど のご馳走が出された。そのために、教会員四 ‐ 五名が、早くからきて作ってく ださっている。私どもは早々に食べ終わって帰途についた。その理由は、私ども が食べたあと協力してくれた方が食べ、その後で残ったものを、家の人たちが食 べるというのが習慣だからである。出された物を少しだけ食べればよい。無理し て全部食べることはない。御飯でもスープでも残していいのである。これを知っ てないと失礼になる場合があるし、あるいは腹をこわしてしまうことだってある。
一〇分後には教会に帰り着いた。すでに礼拝堂では李伝道師のもとに讃美と祈り が始まっていた。昨晩のように、八時一五分に礼拝堂に入って講壇に上る。そして、 八時三〇分から一〇時三〇分まで、ヨハネによる福音書三章一六節から一八節の 御言葉をテキストに「神の愛と人の愛」というテーマで宣教した。
会衆はいっぱいで席に座りきれず、通路にビニールを敷いて座っている。全部で一二〇人以上 の方が出席している。そのうえ熱気が溢れている。聖霊の火が昨晩以上に燃えあ がっていた。今晩も何人が徹夜祈祷をするだろう。午後一一時一〇分まで話し合 い、疲れたので、早目に切りあげて、寝につぃた。
▽ 一〇月一二 (木)
四時二〇分に、李伝道師に起こされる。久し振りに約五時間熟睡できた。そのた め体は快く調子がいい。気持ちもさわやかだ。今朝の早天祈祷会には、四時四〇分 から五時五〇分まで、マタイによる福音書一八章一九節から二〇節の御言葉をテ キストに「神に聞かれる祈り」・を話す。会衆はいつもと同じで、約五〇人ほど。 復興会を連日連夜行うと、霊的には祝福をうけるが、肉体的には疲れる。そして、 疲れは三日から四日目に頂点に達する。だが、誰一人として疲れた顔は見せて いない。
集会後は、六時から七時まで、李伝道師夫妻と通訳の朴伝道師の四人でいろいろ と話し合う。李伝道師の入信、二人の出会い、結婚してからのこと、今後の希望と 計画などを聞いた。この伝道師夫婦には、まだ幼い三人娘がいる。いまは東水原 教会の金牧師の大きな愛の中で、神学校に通いつつ、立派な牧師級の部屋を与え られて、家族で生活を送っている。しかし、この生活がいつまで続くか分からな い。将来に向かって、準備し、やがて独立しなければならないという決意を夫婦 から聞き、私自身も新たな決心をさせられた。
朝食を午前九時一〇分から四〇分までとる。李伝道師夫人と二人の婦人執事が、
祈りと愛情のうちに作ってくれた。午前の聖会は午前一〇時三〇分から始まった。
特別祈祷を水原市の北部で、四ヵ月前に開拓伝道を始めたばかりの弘光長老教会の
羅先()牧師が力強くしてくれた。一〇時四五
分から一二時二〇分まで、ヨハネによる福音書一五章一六節から一八節の御言葉
をテキストにして「御霊の実を結べ」というテーマで宣教した。
会衆は、ほぼいっぱい、だいたい一〇〇人ぐらいで、段々と集会は燃え、人々も 増えてくる。今日は「軍の日」で休日である。中学生・高校生の若い人々の姿が多 い。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書一二・一)の言葉 のとおり、人生の若い時に創造主なる神を信じ、神の道を歩むことが大切である。 しかし、現実の韓国の中学生・高校生を見ると、一〇年、いや一五年前とは大変 違っている。
まず服装は全く自由で、髪型も以前と大分違う。戒厳令が解れてからは、午前一 時頃まで、自由に歩いている姿も見られる。外面だけでも大きく変わってしまった のだから、内面的・精神的にはもっと変化していると思う。アメリカの若者の姿 を日本の若者が追い、日本の若者の姿を韓国の若者が見習っているようにさえ見 える。しかし、日本と韓国との根本的違いがある。日本人は、信仰に対してあい まい、無関心であるが、韓国人は信仰に対して熱心であり、命もかける。韓国の 若者の中には、教会の祈りや両親の祈り、そして殉教精神が宿っていると。だか ら、激しくゆすぶられることがあっても祈りによって支えられ、神のもと、キリ ストのもとに、すなわち、教会に帰ってくるのだと思う。それを信じ、また期待 してキリスト教界は、教会や学校、いろんな場所で若者に伝道している。
午前の聖会が終わってすぐ、車で市の中央にある、高級レストランへ昼食をいた だきに出かけた。東水原教会の金牧師夫妻と李伝道師夫妻、弘光教会の羅牧師夫妻、 それに七九歳になる引退した老牧師、通訳の朴伝道師と私を入れて九人が招かれる。招いて くださったのは、婦人執事二人である。なぜ複数で招いてくれたのか金牧師にた ずねたら、聖会中、食事に招きたい人が二〇人以上いて、決めるのが大変だった、という 裏話しをしてくれた。「神に仕え、神の働き人に対して、心からもてなすのが最高 の喜びである」とある婦人執事が語った言葉が思い出された。
昼食が終わってから車で約一時間かかって、明金曜日の夜の徹夜祈祷会に招いてく れた、基督教長老会シンガル長老教会を訪問し、文洪九牧師夫妻にお会いして熱い 祈りと、楽しい時をもち、徹夜祈祷会の打ち合わせをした。そして、午後五時半 すぎに教会へ帰ってきた。
今晩の聖会が、事実上、最後の集会(明日の早天祈祷会があるが)となるので、 昨年、日中基督教親善協会の一員として中国教会へ行った時の、スライドを上映 することにし、いろいろと準備をした。終わると、水原南門の近くの食堂で、韓 国料理をいただいた。招いてくださったのは、東水原教会、女子伝道会長の執事 である。三一歳の若い二児の母親で気品があり、おだやかな教養豊かな方であっ た。ふつう、どの教会でも、五〇歳前後の婦人が会長である。三一歳はめずらし い。どうして選ばれたのか、金牧師におたずねすると「何人かが推進された中か ら、無記名投票という方法で選ばれた」と。韓国婦人にはめずらしく、控え目で 静かな方だ。人々から信頼される指導者とは?を教えられた思いである。
教会に戻り、準備をする。集会は七時半ごろから始まり、私の控室まで讃美と祈 りの声が聞こえてくる。宣教の前というのは、心が高ぶるため心臓が激しく動くの が分かる。しかし「汝ら、静まりて我の神たるを知れ」(文語訳、詩篇四六・一 〇)「汝ら心を騒がすな。神を信じ、また我を信ぜよ」(ヨハネ一四・一)との 御言葉によって強められ、励まされ、勇気づけられる。
八時一五分に礼拝堂に入って驚いた。椅子と椅子の間の通路は人で一杯だ。一〇 〇人収容する会堂に、一四〇人以上が入っている。生ける神の業であり、神がなさっ た動員である。ただ恐れを感じ、主の栄光が崇められ!栄光が神にのみに帰せられ ますように祈りつつ、一〇時まで、使徒行伝一章八節の御言葉をテキストにして 「キリストの忠実な証人となれ」というテーマでメッセージする。集会は、使徒行 伝二章の五旬節の日の出来事のように「みんなの者が一緒に集まっていると、突 然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同が座っていた家いっ ぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現われ、ひ とりびとりの上にとどまった・・・・・・」であった。メッセージの途中、御霊 に導かれて、いく度も讃美し、祈りをした。
メッセージの内容は、以下のようである。
<聖書> 「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エ ルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるで あろう」(使徒一・八)
<結論> イエス・キリストは、地上において神より任されし使命を完成し、天 に帰る直前に、愛する弟子たちに、お語りになった言葉が「聖霊を受けよ」(ヨハ ネ二〇・二二)、「上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまって いなさい」(ルカ二四・四九)、「わたしの証人となるであろう」(使徒行伝一・ 八)、である。
<本論>
一、忠実とは何か?
主イエス様は「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実 な人は、大事にも不忠実である」(ルカ一六・一〇)と語り、タラントのたとえ話 を通して、具体的に示している。また、復活し昇天されたキリストは「死に至る まで忠実であれ」(黙示録二・一〇)と命令している。
韓国長老派の最大教会、永楽教会の韓景職牧師は<忠実>とは何か?それを確か める方法は三つあると教えている。第一は<量>、少ない、小さい、軽い、弱い・・・・・・ に忠実か?第二は<時間>、一時間、一日、一ヵ月、一年間、一〇年間、一生涯・・・・・・ 変わらず忠実?第三は<状況>、平和の時、収入の多い時、失業している時、病 気の時・・・・・・も忠実か?
二、証人とは何か?
ギリシャ語ではmartouV(マルトウース)で、裁判所で証言する人を意味 する。それ故、第一に信認と信用がなければならない(アシの草や七面鳥やユダの ように、変わったり、異なってはならない)第二に真実の為に犠牲を覚悟しなけ ればならない。(自分んの利害、損得、栄光・・・・・・を捨てる者)。証人は 命を捨てる人、命を献げる人、殉教者を意味する。血を流す者・・・・・・。
三、キリストの証人とは何か?
第一にキリストに出会い、ふれ、体験し明確に知っている(Iヨハネ一・一 ‐ 二)
第二にキリストの十字架と復活を目撃し、再臨を信じて証詞する(使徒二・三二・・・・・・)
そのため、キリストの証人とは・福音宣教者、・教霊者、・教会形成者・・・・・・ である。
四、どうしたらキリストの証人になれるか?
人間の知恵・知識・力・努力では出来ない。ただ、聖霊に充満する時にのみ出来る。
(1)、聖霊とは何か?
K・バルトは「聖霊とキリスト教生活」の中で、第一に創造者としての聖霊、 第二に和解者としての聖霊、第三に救贖者としての聖霊と教えている。
(2)、聖霊に何故!満たされなければならないのか?
第一、神が人間に対する求めであり、命令である
第二、聖霊に充満されない事は、神に対して大きな罪である
第三、聖霊に充満しないと「イエスは主である」との告白も伝道も出来ない
第四、聖霊に充満すると力が与えられ(・救いの確信、・内なる人の強化、・聖 なる力、・熱心さ、・迫害に勝利・・・・・・)
(3)、どうしたら聖霊に充満するか?
第一、テトスへの手紙三章六節「聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストを とおして・・・・・・」
第二、使徒行伝二章三八節、徹低的に罪を悔い改めること(ごう慢・高慢・自我・・・・・・)
第三、使徒行伝五章三二節、神への全き信頼と服従をすること
第四、使徒行伝八章一七節、一九章六節、按手祈祷すること
第五、ルカによる福音書一一章一三節「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊 を下さらないことがあろうか」
<結論>
聖霊に充満して、キリストの忠実な証人(殉教者)になり、神の栄光の為に働こ う!
聖霊の導きによって、大変祝された集会だったので、このまま、徹夜集会にすれ ばよいとも思ったが、昨日からの約束で、中国教会の様子をスライドで映し、報告 するために一〇時で終わって、引き続き約一時間、中国教会の話しをした。人々 は、涙を流して聞いてくださり、新しい祈りの使命にと、かき立てられた。韓国 の教団、教派、神学校には、必ず「中国宣教会」があり、いろいろと祈りながら 活動している。
しかし、中国とは国交がないために、行くことはできない。しかし、いろいろな 所から情報(ニュース)は入ってくる。ただ韓国の国情から考えて、その情報は、 一方的でかたよっているように思える。正しい情報・客観的な情報が入らない。 入ってきても、どこかで勝手に解釈されたものになってしまう。韓国人の中には、 中国に対して潜在的、独善的な見方をすることがあるので、正しく伝わらないの が実情である。その意味で、スライドによる情報は、大変有効であった。見た人々 は大いに興奮した。終わってから多くの人たちから質問があった。
主な質問はーーーー
「中国でみたという教会は、本当の教会か?」
「共産党が宣伝のために造った教会ではないか」
「自分たちと、同じ内容の聖書を用いているのか」
「中国教会には多くの人々が集まっているが、それは共産党が強制的に動員した のではないか」
「神学校にいた学生たちは、共産党員ではなかったのか」
以上のような、否定的、懐疑的な質問から始まって、さまざまな質問がとび出し た。中国教会のスライドは、この教会だけでなく、浸礼神学大学をはじめ、多くの 場所で映したが同じ質問がどこでもなされた。しかし全体的には好意的に理解し てくれたようだ。
スライドが終り、金牧師の指導のもとで、中国と中国教会のために熱心な祈りが 捧げられ、聖会は終わった。私は、ヨイド純福音教会は別としても、他のすべての 教会で、復興会が終わり次第、必ず会堂の出口に立ち一人ひとりに握手し「カムサ ハムニダ」と呼びかけることにしている。韓国の牧師は、男性には握手をするが、 女性にはしない。しかし、私は老若男女を問わず、すべての人の手を握る。その ため二〇分間ぐらいは立っている。メッセージのさい、汗が背中から腰まで、流 れるほどで熱くてたまらない。冬はいいが夏はたまらない。しかし、スキンシッ プも大切であると思って行っている。
今晩は礼拝堂に残って、徹夜祈祷をする婦人が一〇数人いる。この夜が最後なの で、一〇数人の方々と遅くまで話し合った。一二時に突然停電になったので、神の 導きと思って床についた。
▽一〇月二日(金)
停電のために時間が分からない。電気、光のない不自由さを感ずるとともに、そ のありがたさをもしみじみ感じる。李伝道師がローソクを灯してくれて、礼拝堂へ と案内してくださった。講壇の上にはローソクの火が灯って、あたりを明るく照 らしている。
エペソ人への手紙五章八節の御言葉をテキストにして、「光なるキリストに従え」 というテーマで、午前四時四〇分から一時間メッセージをする。会衆は四〇人くら い。暗いので、聖書を読むことはできない。しかし、出席者一人ひとりの中には、 聖霊の火と愛の火が、灯され光輝いている。
九月二八日の夜から始まった、東水原長老教会の「伝道開始記念聖会」は、この 日の午前六時で終わった。ここで一一回の集会を行ったことになる。
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